原爆文学研究会 メモ①

7日の原爆文学研究会の内容から。
発表内容の記録ではなくて、私の個人的な感想。

●齋藤一「原爆死没者慰霊碑文の英訳について―グローバリゼーション下の想像力」

広島の平和公園の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」をめぐる論争の話からはじまって、その英訳の話とか、核時代初期(1945-50)の『英語青年』に「原爆」「広島」「長崎」がどう書かれたか、ということとか。
印象に残った、ふたつの文章。

碑文について
「原爆の悲惨さと被爆したとき受けた考えをせんじつめてみた。二度と繰り返してはならないというのはたれしもに共通した思いだ。しかしノーモアヒロシマといった直接的な表現は避けたい。個々の憎しみや悲しみから飛躍したものでありたかった」石田宣子「過ちは繰り返しませぬから──碑文論争の歩み」

戦争と詩
「平常は同胞相食み親子相争ふ。それが事あると親子一体となり、男女相近づく。相克の世界を離脱して永遠の世界へと通じたのである。この時倫理学者は自我対立して居るのか、一なのかと迷ふ。
 詩人は迷はない。此の一如の姿を真と見る。この境地を賛美する。 
 戦争は国家と個人との一致した詩人の賛美する境地を作る。
 この永遠の世界に接した時、楠正成も大石内蔵助も乃木大将も死んだ。芸術を解せぬ福沢諭吉翁はこれを犬死と嗤ひ、渋沢栄一翁は吉良には賄賂せよと子に教へた。
 算盤珠からは永遠の世界は弾き出せなかつた。これは詩の尺度で計らねばならぬ。」雑賀(さいが)忠義『英詩入門』1938

戦後の石田の「個々の憎しみや悲しみから飛躍したものでありたかった」という言葉と、戦前の雑賀の「戦争は国家と個人との一致した詩人の賛美する境地を作る」という言葉は、実は似ていないか、という指摘が、とても印象的だったのですが、

同じだと思う。
詩歌の実作者は避けて通れない問題ではないか。

ちょうど川本千栄さんの評論集『深層との対話』を読んでいたんだけれど、
「うたがつくった国民意識」の章。子どもの唱歌や軍歌の歌詞をつくるというようなことが、歌人たちによって担われた、言葉によって「国民」の形成に尽力した。戦前に編纂された愛国百人一首は、特攻隊員の遺書の辞世の歌のお手本になった、というようなことなど。
雑賀忠義の文章から、そういったことも思い出した。

「愛国百人一首」はエスペラント語になっているよ、と教えてもらったんだけれど、どういうなりゆきで?
あとで聞こうと思ったのに忘れた。日本でのエスペラントの運動は、気になるところなんだけど、よくわからないままでいる。

長崎の碑文、たとえば、「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」という9歳の少女の作文の言葉が問題になることはない。
広島の慰霊碑の碑文の言葉は問題になる。

このふたつの言葉の違い。
その間に、神も悪魔も棲みつきそうだ。

広島の慰霊碑の碑文。普遍的な、祈りと誓いの言葉に違いないが、


ふと、斎藤茂吉の短歌みたいな、碑文かもなあ、
と思った。