最底辺

数日前だが、子ども、車のドアで指をはさみそうだったのか、ふらふら歩いていて何かにぶつかりそう、だったのか、パパに怒鳴られた。
子ども、あとで私のところにやってきて、
「ぼくは、パパに叱られたとき、もう自分をどぶ川に捨ててしまおう、と思ったんだ」と言う。
やれやれ。あのさ、おまえはママの宝物でしょう、それを捨てるなんてひどいじゃないか。そんなこと言ったらママはハートがちぎれるし、それとも、おまえはママを脅してるのか、って言ったら、
「ちがうよ、ぼくは思ったことを正直に言っただけだよ」
って言う。まあ、そうかもしれない。でも、じゃあ、なんでゲームなんか出してんのよ、どぶ川に流されに行くんじゃなかったの、って言ったら、
「あ、気が変わって」
だって。

こないだ私に叱られたときは、
「ぼくは、バカがなおらないから自殺します」って言ってたんだけど、自殺は撤回したんだな。感心感心。生きてりゃいいです。どぶ川でもどこででも。
でもそういうことを考えるのは、もうすこし先でいいと思うよ。

存在は罪悪だから死ななければならない、と思いつめたことは私もある。いいかえれば、「バカがなおらないから自殺します」ってことだな。
でも、昔見た「芙蓉鎮」という中国映画の「豚になっても生きろ」っていうセリフが耳に蘇って、死ぬのをやめたんだけど、この自分の存在をゆるせないので、死ねないならゴミ袋に入れて捨ててしまいたいと思った。

しかし、私が大人になってから大まじめに悩んだことを、たった8歳の息子にトレースされると、めまいするなあ。
たまらん。ああ、ゆるしてください。私がまちがっていたのです。

それで、私が私を捨てたゴミ袋の、たどり着く先を見ておこうと、フィリピンのゴミ山に行ったら、そこでは、ゴミ袋に入れて捨てられていた子が拾われて育てられていた。
私はその女の子と一緒にごはん食べながら、そうか、捨てたあとは、拾うのか、とわかった。それで、生きよう、と思った。毎日、ゴミの山を歩きながら、もしもまた死にたくなったらここにきて、ゴミを拾うことから生きることをはじめよう、と思った。

いつか、そういうことも、話してあげるよ。



『ルポ最底辺──不安定就労と野宿』(生田武志
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AB%E3%83%9D-%E6%9C%80%E5%BA%95%E8%BE%BA%E2%80%95%E4%B8%8D%E5%AE%89%E5%AE%9A%E5%B0%B1%E5%8A%B4%E3%81%A8%E9%87%8E%E5%AE%BF-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%94%9F%E7%94%B0-%E6%AD%A6%E5%BF%97/dp/4480063773

は、いい本だった。舞台は大阪釜ヶ崎。去年大阪に行ったときそこのドヤに泊まったし(一泊1500円)、弟も昔そこらへんにいたはずだし、フィリピンのゴミ山の景色と重なるところもあるし(決定的に違うのは、フィリピンのスラムは家族やコミュニティがあるが、日本は家族やコミュニティから切り離されてそこにいるっていうことだ)、とても共感しながら読んだ。
野宿者の立場にたっていない、現場がわかっていない、行政の中途半端な対策は、しばしばとても残酷で、愚かしい。たとえば公園から排除する、なんていうのは、ほかに生きる術がなくて、そこにいるのに、おまえは消えろって言っているようなもので、人間だと思ってないな、きっと。
最近は、若者や女性の野宿者も増えているらしい。男性の野宿者の多くは、そうなる以前の、職もあり、家族もあった頃の暮らしに戻りたいというが、女性のほうは、夫の暴力とか、非人道的な職場とかから逃げ出して来ているので、以前の暮らしに戻るくらいなら野宿のほうがましだ、というのだそうである。

日本の最底辺も、フィリピンの最底辺も、生きることの大変さは途方もない。何時間もゴミ拾って、あきれるほどわずかな金にしかならない、それで必死で生きているのを、怠け者だと蔑まれる。昼間寝てるのは、夜じゅう、ゴミ拾っていたからだったりするのに。

図書館で借りてもう返したので、正確な引用ができないが、野宿者たちの現実を「矛盾の縮図」と言うと同時に、「可能性の縮図」である、と言う。そこで彼らとともに、同じ地面に立って生きてきた人でなければ言えない言葉だと思った。

ゴミの山の学校の支援をはじめる頃、ゴミの山にのぼってゴミ拾いをしているひとりの女の子Photo を、世界の中心に置いてみたい、と思った。その子のために何ができるかを、教育も、メデイアも、企業も、それぞれの立場で考えて実行するような、そういう社会に組み替えたい。権力のためでなく、金のためでなく、最も貧しくてみじめな者のために生きるというふうに、なってゆかないだろうか。そうすればそこから、たくさんの希望があふれてくる。
いまも、ひそかに、あこがれつづけていますけど。


94年7月。はじめてパヤタスのダンプサイト(ケソン市郊外のゴミの山)を訪れたときの写真。


広島ブログ