星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(子どもたちのチェルノブィリ)』⑥

『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた(子どもたちのチェルノブィリ)』⑥

第六章 森よ、河よ、草原よ…


☆スベトラーナ・シュリャク(13歳)

チェルノブィリの最初の打撃は、今思い出すだけでも、とげのような氷のかけらで私の心臓を貫く。私は学校の式典の途中に気を失い、五分後に意識を取り戻した。母の顔は青ざめ、目は恐怖で琥珀色になっていた。耳にはこれからおこる悲劇を知らせる鐘の音が聞こえてきた。そのとき、私は七歳だった。いつのまにか頭痛があらわれ、間接が痛むようになった。甲状腺炎と診断された。お医者さんたちは「全てチェルノブィリによってあらわれた、破滅をもたらすニガヨモギの星のせいだ」と結論づけた。」

「生命はすばらしい。毎日、新しい、未知のものをいっぱいもたらしてくれる。だが、道はセシウムストロンチウムのほこりでいっぱいだ。」

「夕方になると、ベッドに横になって、星をながめるのが好きだ。いつもほかの星の同じ年の女の子と出会うのを想像する。私は夢の中で、絶対に彼女に会えると信じている。その時、最初に私が頼みたいのは、地球の子どもに本当の子どもの生活を送れるようにしてほしいということだ。そしていっしょに手をとりあって、私たちの家であるこの地球を飛び回りたい。」


☆ナタリヤ・スジンナヤ(16歳)

「ずいぶん昔に、ヒロシマナガサキの話を聞かされたことがある。原爆の刺すような光に殺された人、壁に焼きつけられた人の影。地獄の灼熱の中で、生きながら苦しみもがいて死んでいったたくさんの人々。頭ではわかっていても、その本当の恐ろしさを私は理解していなかった。ヒロシマナガサキの人々の苦しみや痛みを、はるか遠くの見知らぬ人のそれのように感じていた。ただ、「ヒロシマが、ここでなくてよかった」ぐらいに思っていた。
 ところが、その恐怖がこの国でも現実のものとなってしまった。」

「私たちは以前よりも深く考えるようになった。医者が人の生命を救おうと努力してみても、国家があらゆる補償を与えようとも、私たちから、チェルノブィリの刻印が消えることはない。」
「なんということだろう。新聞は、私たちの体の状態をさまざまな事実と統計をならべて警告している。ありとあらゆる体の異常、白血病甲状腺肥大、私たちの体で休みなく続く変化。私たちは自分だけではなく、知人や大切な人のことをも心配している。
 だが、それと同じくらいに私たちを脅かしているものがまだある。私たちのゆがんだ魂。心の永遠の痛み。」

「私たちは自分の運命に慣れてしまったかのように生きている。だが、本当は、変えたくても変えられないからだまって苦しんでいるのだ。それでも、心の奥深くで、冷たい絶望感がふるえている。」


☆アレクセイ・ヒリコ

「僕には父、母、兄弟姉妹がいる。僕はみんなが大好きだ。一番下のレーナが生まれたのは1993年の夏だった。彼女はとてもきれいでかわいい女の子だった。僕はよくレーナと遊び、彼女の子守りをした。だが、レーナは死んでしまった。まだ、たったの生後五ヶ月だった。」
「僕の家には不幸が居着いてしまった。父と兄たちの目は悲しみに染まってしまった。母が苦しみをこらえ、僕たちに涙を見せないようにしているのを見ると僕はたまらなくなる。」
「僕には分かっている。僕たちの不幸の原因はチェルノブィリだ。」

「僕も検診を受け、甲状腺に異常があると言われた。(略)僕はよく頭痛がする。目も悪くなり、眼鏡をかけることになった。」

「いろんな困難があることは分かる。しかしただ一つ理解できないのは、なぜ僕たち子どもが一番苦しまなければならないのか、ということだ。」


☆ナターリヤ・ヤスケービッチ

「ある日、シャクリャロフスキーの詩が目にとまった。彼はベラルーシの出身で、放射性ストロンチウム放射性セシウムで汚染されたプリピャチ川に何度となく行ったときのことを詩に書いた。

 庭にリンゴが落ちる音がひびきわたる
 原子の露の上を歩く
 リンゴや白いキノコのわきを
 さつさと通り過ぎる
 かがみもせず
 花や草に憎しみを抱きながら

この詩を読むと、鳥肌がたつ。」

「ある日、テレビで原子力エネルギー研究の指導的立場の人の演説を聞いたことがある。彼はこう言った。「科学には犠牲がつきものだ。その犠牲の中には、人間までもが含まれるのだ」と。ドストエフスキーが言ったように、赤ちゃんを殺すような人間が平気で暮らしているような社会の中に、調和などありえない。この科学者は野蛮な人間だと思う。」

「母にこれ以上心配をかけたくない。母が私を見ているときの苦しみようは、とても表現できない。医者はもう私を治療できないでいる。そして、きまってこう言う。治療に「必要な薬がない」と。」


☆イーゴリ・マローズ

「今、この日記(死んだいとこの日記)は僕の手元にある。僕はこの勇気と真の崇高さが記されたナジェージュダの日記の、最後の数日分をここに紹介したい。」

3月1日
「第12号病室の男の子たちが、春のお祝いを言いにやってきた。病室には、もうすぐ春が来るというのに、不幸な私や男の子たちがいた。通りにはまだ雪が残っていて、彼らは雪だるまをつくり、病院の大きなお盆にのせて私たちの病棟に持ってきてくれた。雪だるまはすばらしかった。それをつくったのは、トーリャに違いない。彼は彫刻家を夢見ていて、いつも粘土で何かをつくっているから。彼は科学治療のあと、ベッドから起きることを今日許されたばかりだ。(略)その雪だるまのそばにはメッセージがあった。「女の子たちへ。みなさんにとって最後の雪です!」と。「なぜ最後なの? 本当に最後なの?」私たちは、ひとりまたひとりと泣きながらたずねた。
 雪だるまは少しずつ溶けた。それは私たちの涙で溶けてしまったように思えた。」

3月4日
「ここの病棟は満員になっている。(略)これらのことは全て、チェルノブィリ事故によるものなのだ。この不幸をもたらした犯人をここに連れて来て、この病棟にしばらくいさせたいものだ。自分のやったことの結果を見せつけたい。
 アンナ・アフマートバを読み始めた。「私は最後のときを生きている」というテーマで絵を描きたくなった。」

3月5日
「10号室のワーニャちゃんが死んだ。大きな青い目をした金髪の男の子で、病棟のみんなから愛されていた。まだ七歳だった。」

3月6日
「私が思うには、チェルノブィリの惨事は、人間の理解をこえたもののひとつである。これは人間存在の合理性をおびやかし、その信頼を無理矢理奪い去るものにほかならない。」

3月8日
「病院の講堂で国際婦人デーの集会が開かれた。トーリャと一緒に踊った。でもそれは少しだけ。すぐ目がまわりはじめるからだ。友だちがわたしたちは美しいペアだと言ってくれた。」

3月9日
「おとぎ話は終わった。再び悪くなった。(略)回診のときにタチアナ先生は、治療はもう完了したので、あとは自宅で体力を回復させなさいと言った。私は先生の目をのぞき込んだ。そして理解した。全てのことを!」

「ナジェージダは3月の終わりに死んだ。日記の最後はラテン語の「Vixi(生きた)」で結んであった。彼女は自分の人生で何ができたのだろうか。彼女は何を残したのだろうか。何枚かの風景画とスケッチと肖像画。それと大地に残る輝かしい足跡だ。
 みなさん、子どもたちの無言の叫びを聞いてください。援助に来てください。神も、悪魔もいらない。ただ人間の理性とやさしい心だけが、痛み、苦しみ抜いている大地を救うことができるのです。みんなで一緒になって初めて、チェルノブィリの恐ろしい被害を克服することができるのです。」