アトム焼

バイカル湖より深い味 唐揚げ弁当」
という宇和島の弁当屋のコピーのことを思い出すと、笑いたいか泣きたいかわかんない気持ちになるが、

推測するに、たぶん、バイカル湖は世界一深い湖だということよりも、むしろ、
むかし歌声喫茶の時代に有名になった「バイカル湖のほとり」というロシア民謡に由来するかも。

文化、とか、流行とか、そういうものへのあこがれ、田舎の人間のあこがれの射程がそのあたりだったんだろうなあ。
でもそれにしたって、何十年前の話で、しかも歌詞は政治犯のかなしみの歌みたいだし、でもそういうことはたぶんどうでもいいんだろう。

いまは商店街もすっかりシャッター街になってしまった町が、まだすこしはにぎやかだったころの名残りのように。何かの残骸をいまも貼りつけています、といった感じの。

バイカル湖より深い味」

☆☆

ところで。昨日、広島で見つけたネーミングには衝撃を受けた。
現在じゃなくて、1952年の話だけど。

久しぶりの本屋で、金もないので、あれもほしいこれもほしいけど、ぜーんぶあきらめて、立ち読みしていて、広島の1952年ごろの街の写真が最近写真集になったやつをめくっていたら、「アトム焼」の写真があった。

Photo

原爆ドームの前に「原爆1号の店」と名付けた被爆者の店があったことは、以前から知っていたけど、その店に自分の背中のケロイドの写真を飾っていたというのもすごい話だけど、
その近くの土産物屋で売られていたのが「廣島一のおみやげアトム焼200円」。原爆ドームをかたどった小さい焼き物みたいなのが。

「アトム焼」。何、このネーミングの凄さ。

以前、映画「二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)」で、原爆ドームの前に「TEA ROOM どーむ」ってあるのを見たときも、驚いて、それがずっと気になってて、

  二十四時間の情事(ヒロシマモナムール)の舞台、「TEA ROOM どーむ」は実在したのだろうか

って短歌(短歌か?)書いたけど(christmas mountain)、
それはのちに、ヒロシマモナムールの女優のリヴァさんが、映画の撮影で広島に来たときに撮ったっていう写真集『HIROSHIMA1958』が出て、
その本のなかの写真と説明で、実在していたことを確かめたけど(ちなみに映画は、外観は実在のどーむ、その内側の撮影はセットらしい)。

ドームの前の喫茶店に「どーむ」って名前をつけるっていうのは、とてもあたりまえといえばあたりまえなんだけど、それが原爆ドームであるからには、あたりまえじゃない感じがする、でもたぶん、そう名付けて商売した人は、あたりまえだったんだよ、と思うとよけいに、あれなんだけど、なんていえばいいんだ、この感じ、

「アトム焼」のおみやげのネーミングも、いたってあたりまえの発想といえば発想なんだが、そのあたりまえの衝撃力。

王様は裸だ、って言われたみたいな。

私たちは焼かれたんだ、って。

いま原爆ドームの前に「どーむ」という名前の喫茶店出したり、おみやげに「アトム焼」と名付けたり、できないと思う。

「アトム焼」
子どもが模型電車のジオラマに使うのに欲しがりそうだ。