夏休み前夜

ひなさんたちが帰ってこない。向かいの森のあたりを飛びまわっているつばめたちは、たぶんうちの子たちなのだが。つまり、飛ぶ練習を始めたときは、すでに巣立ちだったのか。
三連休の最後の日、小学校のときの友だちが遊びに来ていた。髪型も変わっていたがすっかり陽にやけて(陸上部らしい)、なんだかたくましくなったような感じだった。子どもたちはおっきくなるのだ。人間の子もつばめの子も。

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だるいだるいと怠けているのは私。畑の草ひきはもう、あきらめよう。がんばって熱が出たら困るので、30分以上は畑にいないことにした。この雑草のなか、どこに何が植わっているのか、私以外、誰もわからない。草をかきわけて収穫。トマト。ブルーベリー。みょうが。紫蘇。

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夏休み前夜。夏休みの課題もぼちぼちもらって帰っている。息子、夏休みの懇談会で親も見るはずの成績表を見せられたそうで、いくぶんショックも受けている。
テストの成績がそのまま反映している項目は納得するしかないのだが、体育と技術が際立って悪いのもしょうがないのだが(でも体育よりも技術がはるかに悪くて、なぜなのかわからないそうだ。自分の不器用さをあんまり自覚してないな。)
いくつかの項目、コミュニケーションや積極性などは、授業中に手をあげないせいで、点数がひかれているかもしれない、と悩んでいる。でもそれは、父さんが、授業中に手をあげるな、発言するな、と言ったのを守っているからなんだけど。

こんなにいろんな先生がいると、その対応はそりゃまあ大変だと思う。ノートひとつ提出するのも、何を要求されているのか、掴みかねる。問題の意図をつかめなくて、意味不明の答案を書くように、いろいろと見当はずれのこともしているのだろう。

小学校低学年の頃、見当はずれの理解をしたり、発言をしたり、たぶん、まわりの子には理解できないことを言ったり、の子だったから、これはいじめられるぞ、と思ったパパが、授業中に手をあげるな、しゃべるな、と言い聞かせた。自分はしゃべらずに、人が何を話すかを聞いていろ、と。
手をあげましょう、とか、積極的に発言しましょうとか、教師は軽々しく言うな、その結果、何が起こるのか、わかってんのか、責任とれるのか、と、それはそれで親心であったわけだが。

そろそろ自分で考えなさい。授業態度をどうするかということも。それぞれの先生にどう対応するかということも。と、息子に言いながら、ああ、でも考えたら考え違いをして間違ってしまいそうな子だからなあ。まだしばらく、細やかに話を聞いてやらなければならないらしい、と思った次第だった。

不器用さ。私いまだに、息子に包丁持たすの怖いもん。練習させなきゃいけないんだろうけど、怖いもんなあ。先生はよく見ていると思います。