死について

夕飯のとき、今日は私と子どもとふたりだったのだが、ふいに、
「ぼく死んだらどうしよう」と言い出す。
「死んで焼かれたら、いたいよ」と、目をぱちぱちするのは涙が出そうなんだな。
大丈夫だよ。死んでから焼かれるのは痛くないよ。(葬儀には三回出ている。一度は焼き場にも同行している。骨を拾うのも見ているなあ。思い出すのかな。)
「子どもも死ぬの?」
みんないつか死ぬよ。おじいさんになってから死ぬのはしょうがないけど、子どもが死ぬのはかなしいなあ。
「どうして死ぬの?」
病気で死んだり、戦争で爆弾が落ちても死ぬよ。交通事故でも死ぬよ。
「ぼく、死ぬの困るよ」
だから事故には気をつけるんだよ。それにまだ死ななくていいよ。どうしたの。
もう号泣である。抱っこしてやる。

「死んだらどうなるの」
宇宙へ還るんだよ。宇宙のなかに溶け込むの。(昔、やっぱり6歳のときだ。死んだらどうなるの、と私がきいたときに、母がそう言ったのである。お母さんありがとう。)
「とけこむってどうなるの?」
ペットボトルの水にさ、牛乳一滴、ぽとんと落としたみたいな感じだよ。きっとね。それでもって宇宙をずっと旅するんだ。銀河鉄道みたいなのに乗るかもよ。
「とおい惑星にも行くの?」
行くかもね。それで旅しながら、考えるんだ。今度はどこに生まれようかなあって。きみもそうやってここに生まれてきたんだよ。
「うん、2003年にね」
人間に生まれてよかったよ。でもさ、悪いことばっかりしてたらさ、今度は人間に生まれられないかもしれないよ。みみずとかムカデとか蟻になるかもよ。畑のみみずならママに踏まれるし、ムカデなら、熊手で八つ裂きにされるし、蟻とかになって台所にやってきたら、パパに毒ガス攻撃されるよ。
「そうしたら、もう一回やりなおしするんだよ」
やりなおしできないよ。生まれたらもうもとにもどれない。そのまま生きていくしかないよ。だから、いま人間でいる間に、一生懸命生きようよ。そしたら、次もきっと人間だよ。
「人間は何歳まで生きるの? ぼくは何歳で死ぬの?」
そんなの、だれにもわかりません。長生きしたら、120歳くらいまで生きられるかもよ。
「ぼく死ぬのいやだよ」と、また泣く。
じゃあ、がんばって120歳まで生きようよ。死ぬのはそれからでいいよ。小さいままで死んだら、ママもかなしいよ。泣くぞ。
「それは、ぼくが宝物だから?」
そのとおりです。よくわかってるじゃん。
ふざけていたら大変だけど、一生懸命生きていたら、生きても死んでも大丈夫なんだよ。生命は永遠だからさ、生きても死んでもずっと一緒だから、心配するな。

「おじいちゃんとおばあちゃんの妹は死んだの?」
知らないよ。死んだって言ってた? 今度きいてごらん。
「耳がいたくて、死んだのかなあ」
そうなの? (そういえば、おばあちゃんが、妹が子どものときに中耳炎になった話をしていたような。ずっと以前だけど)。どうしたの、耳が痛いの?
「ううん、痛くない。あのね、となりの席の子がね、ぼくの耳に口をちかづけて、マンマ・ミーア、とか、大休憩、とか大きな声で言ったんだ。」
(ああ、またお隣さんだ)それ、いつ?
「5月のはじめと5月の終わり」
先生に言った?
「先生がね、そんなことしたら、りくしくんがびっくりして、耳が痛くなって死んじゃうよ、って言ったんだ」

ああ、そういうわけで。
ということは、この数日間、考えていたわけですね。死んだらどうしようって。
ああ、ご苦労さんだなあ。
6歳7ヶ月。疾風怒濤の日々。
明日は土曜参観日。

暑くなってきたので、水筒を持っていっているのだが、忘れて帰った。すぐに先生から電話があって「教室にあります。心配されてはいけないと思ってお電話しました」って。どうもご心配おかけします。

さて、この一件は、どう伝えたもんだか。