星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

Rについて 6

 最後まで書かないと抜け出せないので続けます。
 死刑直前までの李珍宇の手紙から。

1961年5月14日 李珍宇より朴寿南へ
「私は二つの事件を起こしましたが、あのまま捕われなかったら、機会あるごとに更に人を殺したことはたしかです。私が捕われてから、何の後悔も見せず、むしろ快活にふるまったことは、少くとも故意的ではなく、それは自然でした。何故なら、私は自分の罪に対して何の後悔も感じてはいなかったからです。(略)私は人を殺すということについて、何の感動もないのです。この本性、これは今の、現在の私の心に相変わらずあるのです。」
「私は何にしても、無感動なこの本性に対してたまらない憎しみを感じています。(略)私は被害者のこと、家の人達のことを思って涙を流しました。しかしそれは、ただの涙で、私の本性は無関心です。」
「私の本性は、私の感情的な性質にもかかわらず、非情です。」
「私は従容として死に場所にのぞむ私を恐れます。私は恐怖を味わいたい! 私の非情な本性に恐怖を味あわせてやりたい!(略)私が自虐的に見えるのは、自分の本性を知っているから!」

 一審判決以来、カトリックに入信した彼は、自分の恐ろしい本性への罰として死刑を受容するつもりであった。手紙の内容は、おおむねユーモアとジョークに満ち、信仰と民族の問題を内面化しようと懸命である。事件についてはあまり語らず、ただ事件を客観視するためだろうか、物語詩のようなものをつくっている。やがて「慰め」のための信仰を拒否し、まわりのすすめを受け入れ、恩赦を出願するにいたるのだが、その直前、事件を振り返って長い手紙を書いている。

1962年8月7日 李珍宇より朴寿南へ
「私の頭にいつも残っていた問題は、体験が『夢』のように感じられることだった。もしも私達が何か或ることをして、それが過去になると同時に『夢のように』と感じるとしたら、それに対して何か現実的な感情を持てと云われても困ってしまうにちがいない。(略)
『私がそれをしたのだった。それを思う私がそれをした私なのである。それなのに、彼女達は私に殺されたのだ、という思いが、どうしてこのようにヴェールを通してしか感じられないのだろうか。』
 こういう問題が、信仰の心情の中にあって何度か私の心にくりかえされていたのだった。
 そういう時に私は姉さんと会ったのだった。(略)
 ただ次のことは非情に重要なことだ。
 いつしか私は姉さんがとても好きになってしまったのだが、それである日ふと姉さんのことを思い出したとき、急に姉さんのことが心配になってしまったのだ。たしかその前に、姉さんは足を怪我しているにもかかわらず、わざわざ家を訪ねてくれたのだった。姉さんはバスの停留所をまちがえて一つ手前で降りてしまったのだった。それで家まで歩く途中運よく自転車に乗せてもらったわけなのだが、私は家の近くのことはよく知っているし、また自分のしたことがしたことなので、急に、もしも姉さんに万一のことがあったらという心配で胸がいっぱいになってしまったのだった。(略)それで私はとても姉さんのことを心配したのだが、その時ふと被害者のことを思い出し、そのことが今までにないほど強く心に感じられたので、私はこのことが何かしら深い意味を持っているように思われてならなかった。(略)
 自分の親、姉妹、親類、祖国等の愛情を通して他人を見つめるとき、どうして他人の生命が私達と無関係に思えるのだろうか。愛情が生命を理解させるのだ。(略)
 私は云いたいことがうまくまとめられないでいる。私は姉さんへの気持ちを強く感じた時、その感情を通して今まで遠くに感じられた被害者のことが、身近に感じられたのだった。私はこの感情をもっと豊かにさせることによって、この問題を心のうちにまで引き入れたいと考えた。
 私はそういう仕方で被害者の存在を心のうちに回復させようとしたのだった。(略)
 ロザリオの祈りというものがある。私は毎日その半分近くを被害者のためにささげている。姉さん達に対する感情を通して得られた被害者の姿を、私はこのロザリオの中でたえず反復していった。この結果がどういうものであるかを私ははっきり云うことが出来ない。ただ私が望んでいた通り、心の外に感じられた彼女たちを自分の心のうちにおいて感じるようになってきたのだった。(略)
 私達は多くの人達と結びついている自分を意識しなければならない。また私はそういうふうになってきたのだった。(略)私はかつての信仰の状態に戻りたいとは思わなかった。信仰は慰めのためにもとめられるべきではないと私は強く感じた。
 姉さんが『珍宇! あなたの一日一日を生きるということは、わたしたちの生活と心臓を共にしているのです』と書いた時、私はまさにそのことをよく理解していたのだった。(略)
 私は今、私が恩赦を願うことは私自身のためではなく、私と同じような境遇にいる人達のためでもあるという姉さんの言葉を思い起こしている。
 私は今いろいろなやんでいる。そしてこう思っている。もし姉さんがそうしてほしいと考えたなら、私は姉さんの云う通りにしよう、と。」

 11月16日、午前10時、李珍宇は処刑される。恩赦誓願の審理も終わらぬうちに刑場へ送られ刑が執行されるという異例の処置であった。(いったい何の悪意だろうか。)

 死刑直前までの李珍宇の書簡は、アイデンティティ獲得のための闘い、「罪」の獲得、自己の回復が、このような場所からも可能であることを、教えてくれる。彼にとって可能であることは、私にとっても可能であるかもしれない、と思った。私は私の「冷酷な本性」から、いつか解放されることもあるかもしれない。
 そんなわけで、私は李珍宇の生と犯罪と死に、それから朴寿南の取り組みに、その文章に、恩を感じる。
 李珍宇の恩赦嘆願に協力した人々に恩を感じる。
(驚くべきことに、そのなかには被害者の母親も含まれていた。彼女は言っている。「わたしたち日本人はあなたがた朝鮮の方にたくさんの罪を重ねてきました。……その大きな罪を考えると……ただ恨む筋あいはたちませんのですよ」)

 それは、生きるべし、という声だった。