消えてしまう、ということ

昨日、従姉のひろみ姉ちゃんの火葬が終わった。通夜も葬儀もなくて、火葬場には、兄と近所の友だちと、その友だちから連絡をもらった従弟がひとり、来てくれたらしい。

火葬を終えて、お骨を、ひろみ姉ちゃんの家に持って帰ったが、このあとをどうしようかということ。兄は来てくれた親戚に、深入りしないほうがいい、と言った。お金のかかることだから。もう全部、役所にやってもらったほうがいい。
通夜や葬儀はもちろん、家の後片付けほどのことも、してあげられるような余裕は、誰にもないのだった。ひろみ姉ちゃんの通帳には3万円ほどしか残ってない。

飼っていた猫たちの世話は、この数日、近所の人たちがしてくれていたらしい。飼っていないけど、やってくる猫たちも。
老いて貧しくて、自分の食べることもままならないようななかで、猫のためにお金を使って……、ひろみ姉ちゃんに限らず、そのように生きていた人たちを何人か知っているけれど、不思議だ。猫たちがいたから、病院に行きたくなかったのかもしれない。猫たちを置いて、入院するわけにいかなかったんだろう。でも、猫たちを置いて、死ぬ。

娘が死んだときに、家族のお墓はつくっていたらしい。それならばそこに納骨すればいいのだろう。さしあたり、兄がお骨を預かっておくという。

ということは、兄が納骨の世話をするつもりなのだ。でもたぶん、兄にお金はないと思う。コロナで仕事やめてるし。……帰省して相談しよう。

兄に電話したとき、ひろみ姉ちゃんの家にいるというから、そこにふじ子の絵がないかと聞いたら、一緒に焼いたんじゃないかという。額に入った女の子の絵ならあるけど、ふじ子じゃないようだよ。いやいや、それがふじ子なのよ。14歳くらいの女の子の。もっと小さい頃のかわいらしい絵を、ひろみ姉ちゃんは描いてほしかったのに、画家が、いまのこの子を描く、といって描いたらしいので、寝たきりの小さな子、という印象とはちがって、大人びた感じになっているけど。

その絵は、私がもらいたい。ふじ子のことは、私がおぼえておきたい。あの子が忘れられるのは悔しすぎる。

息子に話をする。彼が一度も会ったことがない、ある家族について。

うまく理解できない感じが私はしているのだが、本当に、うまく理解できないのだが、ひとつの家族が、消えてしまった。ふじ子がいた遠い日々も。

 

今夜の月。

f:id:kazumi_nogi:20200803023121j:plain

 

従姉の死

ひろみ姉ちゃんが死んだ。7月31日。今日の午後、兄から電話。最後に会ったのはいつだったかしらと思う。20年ほど前、祖母の葬儀のときだ、と思い出す。
母の姉の娘なので、私の従姉。20歳年上だったんだなあと、はじめて知った。
癌だったらしい。でも、そんなこと誰も知らなかった。ひとり暮らしで、近所の友人に病院に行くように言われても、かたくなに行かなかったのが、4日前にやっと病院に行って、癌とわかって、今日亡くなった。

何もできることがない、と兄の声が沈痛だった。ひろみ姉ちゃんには家族がいない。最初に亡くなったのは、脳性麻痺の娘だった。ふじ子は私より数歳年下で、まだ16歳ぐらいだった。それから、夫が亡くなったと聞いたのが、十年ほど前? もっと前? 家計は、ひろみ姉ちゃんがずっとスナックで働いて支えていた。目が見えなくなった母親のきい伯母ちゃんと暮らしていて、きい伯母ちゃんも、去年ぐらいに亡くなったらしい。そのときに、里のほうの人らと喧嘩して、それで絶縁したらしい。

喪主は、近所の友だちが、ひろみ姉ちゃんに頼まれていて、名前だけの喪主になってくれたらしい。あとは、役所が片付けてくれるらしい。通夜も葬儀もなし。病院に荷物の片づけに行こうかと兄が足を運んだが、コロナ禍なので、喪主の人のほかは立ち入り禁止。

 

母の里には、小さな頃には、ときどき母に連れられて行ったが、中学生になる頃には行かなくなっていた。3人の伯父たちとの関係が気まずくなっていたようだ。母が死んだあと、伯父たちは絶縁を言ってきた。そんなこと、知ってか知らずか、ものともせず、ときおり顔をのぞかせていたらしいのは私の弟だが。
伯父たちもとっくに死んで、次の世代になっているんだろうけど、そっちの従兄姉たちのことは、私は誰ひとりも記憶にない。

 

母から聞いた話だ。姉のきい伯母ちゃんは、お嫁に行く前の夜に、行きたくないと言って、蚊帳のなかで、泣いていたらしい。娘のひろみちゃんが生まれて、それから別れたらしい。

母の里に行かなくなっても、ひろみ姉ちゃんの家とは行き来していた。学校から帰ると、家にきい伯母ちゃんが来ていて、私の母と花札して遊んでいたりした。ひろみ姉ちゃんは、脳性麻痺の子がいて、出かけることが難しかったから、私たちが遊びに行った。年末年始は、ひろみ姉ちゃんの家で、飲んで、花札してトランプして百人一首して、飲みつぶれて寝て、起きたら、凧揚げして、遊んだのだった。私たちの家族とひろみちゃんの家族と、父の弟とか、兄の友だちとか、近所の家の子とか。

子どもの頃に、ひろみ姉ちゃんが家にあった本を貸してくれて、読んだ。山本有三の「路傍の石」。ひろみ姉ちゃんの隣の家の女の子と百人一首して私が勝ったら、女の子は悔しかったらしく、ひろみ姉ちゃんと特訓して、翌年にはもう私は勝てなかった。

高校を卒業したあと、帰省のときに訪ねたことがあった。ふじ子が死んだ初盆のときに。ふじ子が死んだあとは、行かなくなった。

母の家のほう、つきあいのある親戚といっては、ひろみ姉ちゃんのとこしかなかったんだけど、消えてしまった。ひろみ姉ちゃんが、画家に頼んで描いてもらっていたふじ子の絵は、どうしただろう。ふじ子が死ぬ前の年だった。

会いたかった気がする。
ひろみ姉ちゃんが、まだ小さかったふじ子をベビーカーに乗せて、小学生の私を連れて、午後の道を歩いていたことを覚えている。

ひとりで、死んでいった。私はそれでいいのよ、と気丈な声が聞こえるような気もする。が。

 

f:id:kazumi_nogi:20200731230842j:plain

 

 

 

ざあざあ降りの雨の夜は

軒下の岩燕。早朝と夕方、ジュクジュクツピーと巣の中でさえずっている声が聞こえるんだけど、ほとんど姿を見せない。巣から顔を出しているのが、ようやく撮れて、このあと親燕が空から帰ってきて、もぐったと思ったら、勢いよく飛び立っていった。1、2、3羽。もう巣立ちかしらと思ったら、そのあとも、巣のなかで、ときどき鳴いているし、糞も落としているから、まだまだ絶賛子育て中、なのだろう。

f:id:kazumi_nogi:20200728221137j:plain

夜に雨が降ると、そして雨が続いているのだが、畑には鹿が来る。張り巡らした網を越えてくる。網を、二重にする、段違いにする、迷路にする、いろいろやってみるんだけど、力づくで越えてくる。かと思うと、軽やかに飛び越えていたりする。鹿子、つよい。

鳥よけの網をかぶせていたので、ブルーベリーは実って、毎日摘みに行くのが、まあまあ楽しい。

それにしても、長い梅雨。

読書。ジャコモ・レオパルディ「断想集」は面白かった。

「私は決して人間を憎むようにはできておらず、むしろ人間を愛するような性格であった」「経験というものがほとんど暴力的と言っていい形で私を納得させた」

「世間とは立派な人間たちに対抗する悪人どもの同盟、あるいは寛容な人たちに対する卑怯者どもの集まりだということである」
「悪事を働く人間は、富、名誉、そして権力をその手中に収める。それに対して悪事を指摘する者は絞首台に連れて行かれるものだ」

 「服従と依存の感情」「自分自身の主でいられないという感情」

「あらゆる事柄に関して世間とうまく渡り歩くことのできない人間がままある」「変わることのない自らの性格ゆえに素朴な立ち居振る舞いを放棄できないことに起因している」

 「自己中心主義が蔓延し、人々が他人に対して非常に強く嫉妬心と嫌悪感を抱いている時代である」

「自分に襲いかかった不幸のせいで、あたかも社会の中で身分を落とした人間になり果て、何らかの大罪を犯した罪人であるかのごとく世間に見られ、友人の評判を失うのを見ることになる」

 「われわれの習性は自分自身がされたくないことは他人にもしてはならないという教えに反しており、また他人についてはどれほど自由に話しても罪なきものとみなされる。そしてそれは筆舌に尽くしがたいほどに甚だしい」

「自分自身を大いに体験しない限り、人は大人にならない」

「人間は、実際の自分と違うものになろうとしたり見せかけたりしない限り滑稽ではない」「いかなる不幸な性格にも、どこかに醜くない部分が存在している」

「誰も苦しんではならないし、おまえは不幸だとか不運だとか面と向かって言われるべきではない」

「いかなる不幸に遭遇したとしても、堅固で確信に満ちた尊敬のまなざしを自分自身に向けること」

「優れた価値を有する人間は、大体みな素朴な振舞いをする。そして、素朴な振舞いは大体いつも低い価値を示すものとみなされる」

 

解説によると、

イタリアの詩人・哲学者ジャコモ・レオパルディ(1798~1837)の絶筆の書の全訳。イタリア人に最も愛されたイタリア詩人のひとり。19世紀イタリア。実存主義の先駆者。脊柱側弯症を発症。常人離れした学才と容姿は彼を他人から遠ざけた。

人生や世界が矛盾に満ちた存在であることをそのまま認識する。世界の矛盾と人生の虚無に激しく苛まれた。諧謔的思考。などなど。

彼が試みたのは、東洋の言葉で言えば、如実知見、なのだろう。

 

読書。息子が友だちから借りてくる「ひぐらしのなく頃に」をえんえんと読み継いでいる。繰り返される猟奇事件(こわいからいやなんだけど)の世界像がようやくすこしわかってきたわ。この本の何が面白いんだろうと思いながら、えんえん読み続けてきたんだけど。
運命は、金魚すくいの膜のようなものらしい。たやすく破れるものでもあるそうですよ。でもその薄い一枚の膜を破れなくて、地獄の惨劇があるのだった。

トニ・モリスンの「パラダイス」という小説を思い出した。傷ついた女たちが身を寄せた教会で起きた虐殺の物語だったと思うけど、何が欠けていたか、というと、やはり、如実知見なのだろう。それができなくて、殺戮の舞台になる。パラダイスでもあり得た場所が。

ありのままを認識することも、恐れなく自由に思考することも、思いのほかにむずかしいと思う。

☆ 

夏休みは、10日ぐらいしかない。帰省するつもりだったけど、どうしようか。  

f:id:kazumi_nogi:20200729004318j:plain



 

 

 

 

 

 

 

 

水の音、ひぐらしの声

雨の音。鹿の足音。外に出ると、雨の音に交じって、向かいの森から鹿の足音が聞こえたりする。

雨、どれくらい降りつづいているんだろう。

息子、先週は、4日連続、大雨警報のなかを学校へ行く、と言いながら出て行ったっけが。今週はどうでしょう。

毎日、一日中雨が降り続いている気がしていて、外に出ると、たまに雨があがっていて驚いたり、していた。それでも雨の音と聞いてしまうのは、向かいの森から溝にながれてくる水音のせいだ。
向かいの森には、廃屋と、池のある庭があり、30年前までは、人間嫌いのおじいさんが住んでいた、らしい。10年ほど前までは、おじいさんの息子という人が、たまに木の枝を払いに来たりしていたけれど、もう誰も来ない、鹿といのししの遊び場になってるけど、その向かいの森の池はいつも枯れているのに、今は水がいっぱい、池のほとりに、「考える人」の彫像がある。
誰も訪れない、近所の子どもたちさえ、足を踏み入れない、荒れた庭に、「考える人」がいる。不思議な廃園。

f:id:kazumi_nogi:20200714035724j:plain

20年前の7月10日に、フィリピン、パヤタスのゴミ山が崩落して、麓の集落が埋められた事故があった。一週間雨が降り続いたあとの惨事。死者は200人余り。行方不明者は数百とも。子どもたちの犠牲が多かった。事故のあと、寄付を集めて、2週間現地に滞在して、忘れられない出来事なんだけど。

今年はもう、フィリピンに行けない。訪問するのは、いつも日本の夏休みの時期、向こうは雨季のころだったから、1週間の滞在中、ずっと雨ということもあったし、台風で床上浸水ということもあったし、マニラが大丈夫でも、ほかの土地で、土砂崩れがあったり街が浸水したり、犠牲者が出たりを、ニュースで見ないときがなかった。

たぶん、この数年、日本の雨の降り方が、似てきてる。水を含んだ空気の匂いも似てきてる。ふっと、あ、パヤタスの匂い、と思ってなつかしくて振り向いたりするんだけど。南国の雨季の匂いなのだわ。

もう、何かが根本的に変わってきているんじゃないだろうか。

 

☆☆

息子が友だちから「ひぐらしのなく頃に」の本のつづきを借りてきていたので、私も読んだ。八墓村のライトヴァースですかね、猟奇ものはかんべんしてほしいんだけど、キャラクターがそれなりに個性があるので、読んでしまう。ひぐらしはどんなふうに鳴くのかと息子が言う。向かいの森で鳴いているのがそうなんじゃないのかな。
で、ユーチューブで確認。まちがいなく、ひぐらし。毎日、水の音に負けないくらい、もの凄く鳴いている。

ひぐらし、 鳴き始めた。朝、5時。

出来事の日付

3年前の春休み、中学生だった息子と九州に旅した。最初の日、くま川鉄道に乗った。田園シンフォニー。線路沿いの菜の花と夕焼けとを覚えている。なんだか、夢のような景色だった。どの路線がどんなふうに傷ついたか壊れたかは、そういうことをくまなく網羅しているっぽい息子のスマホが教えてくれる。破壊はこんなに突然にくるものか。
人吉の地図を見ていて、ようやく思い出した。あの1日、私たちがどこをどう歩いたか、どこで泊まったか。その全てが、浸水していた。……言葉がない。

2年前の7月6日は、西日本豪雨だった。翌日の文化祭が中止だったこと、8月帰省するとき、広島でも愛媛でも、豪雨の傷跡のなかをくぐりぬけるような感じだったことを覚えている。

2年前の7月6日には、オウム真理教の人たちの死刑執行が行われた。突然。
はるかにさかのぼって、7月6日はサラダ記念日でした。80年代半ばくらい? あの頃は、世界がこんなに壊れやすいなんて思わなかった。
同世代の青春の、最初と最後の出来事の日付の気がする。

まだ降るらしい。ひどくならないといいな。

詩誌「みらいらん」6号が届いた。コラム書かせてもらっているので、貼っておきます。ぺったん。75年めの広島で。

f:id:kazumi_nogi:20200709163836j:plain

 

生きてさえいれば希望があります

香港が中国に返還される頃、「返還前の香港に行こう」と私は旅行雑誌に書いていた。コピーライターやっていたので。23年前なのか。新しい旅行会社や旅行雑誌がどんどんできていた頃(数年せずに、どんどんつぶれて、私は仕事を失くしたが)。

香港が返還されたら、どうなるのだろう。天安門事件のことはまず、頭に浮かんだし、中国が、もうそんなことはしない、と思ったわけでもなかった。でもそんなことは、誰も言葉にしなかった、ような気がする。
翌月、私は「返還後の香港に行こう」と書いていた。ホテルと食事とショッピングのツアーの内容は一緒だった。二泊三日、リーズナブルな香港の旅。

共産党は裏切るぞ、とは、何度も耳にしてきたし、あらかじめわかっていたことのような気さえするんだけれど、裏切らない共産党を見てみたかったけど。

6月の終わり、香港の周庭さんの書き込みを見かけた。特別な言葉ではないが、彼女の言葉として、記憶したい。
「生きてさえいれば希望があります」

f:id:kazumi_nogi:20200704231117j:plain

例年なら、夏休みの計画をたてて、飛行機のチケットを予約したり、帰省の連絡をしたりするころなんだけど。

何日前か、午睡の夢に、昔のバイト先のお店が出てきて、お店の人たちが、みんな満面の笑顔だった。目が覚めて、分かち合えたものが、そういう幸福感であるならばよかったと思ったし、ちゃんとお別れできた気がしたのだった。

皿を洗うとかキャベツを切るとか、そういうシンプルな仕事ができたことは、とてもよかった。

浦島太郎の私は、ある人の死を、1年以上もたって、知った。知人でもなんでもないんだけれど、昔読んだ、その人の文章を好きだった。

父の死によって気づかされたのは、もう、すぐに目の前に、誰彼の老いと病と死が迫っているっていうことだ。なだれるように来るだろう。私にとって「世界」であったものが、ぼろぼろ欠けてゆくだろう。成住壊空といいますが。

でもいまどこかで、誰かが倒れても、そこに行くことができない。会いに行くこともできなければ、別れることもできない。生きていてください。

豪雨被害。熊本、3年前に息子と一緒に旅したあたりの鉄道が壊れている。くま川鉄道田園シンフォニー。こんなに世界が壊れやすいなんて。

 

 

 

 

ねむの木にねむの花咲く

うちの? 畑(団地の管理放棄地を開墾した)には、ねむの木があって、一昨年くらいに花が咲くのを見るまでは、なんかの木、とは思ったが、ねむの木とは把握してなかった私だ。
畑には、桑の木(とっても細い)もあって、それも、去年ぐらいに、実をつけるまでは、桑の木と把握してなかった。実は数個だけ、それも鳥が食べちゃった。

ねむの木、去年はほとんど花が咲かなかった。鹿が来て、ことごとく新芽を食べてしまったせいなのだが、今年は、たぶん、木が、少しだけ背が伸びた。鹿より少し高くなった。それでいま、花盛り。きれいだわ。

f:id:kazumi_nogi:20200629205941j:plain


芭蕉の「象潟や雨に西施がねぶの花」の句。息子は西施を知らないが、象潟は知っていた。秋田にあって羽越線が通っているらしい。
ほんの少しが、大事と思うよ、と息子に言う。ほんの少し成長しただけで、ねむの木にねむの花が咲いた。でも、ほんの少しを怠けたら、きっと鹿子に根絶やしにされる。(さくらんぼの木は鹿子に食われつくして枯れてしまった)。ほんの少しを、がんばるべし。

農家もあちこち、鹿やら猪やらアライグマに襲われているらしい。お隣は、網を張りめぐらして、それで去年からこの春まで乗り切ったと思うんだけど、やっぱり襲われたらしい。私はもう面倒で放っていたんだけど、町内会の草刈の季節、放っておくのもまずいし、鹿子に勝てる気はしないながら、鹿よけの網を張る。残された足跡と糞が語るには、晴れた日は後ろの土の道から来る。雨の日は堂々と舗装されたほうの道路から来る。

網を、二重に張る。段差にする。迷路にする。といろいろやってみるんだけど、すでに3度は破られた。力ずくで引き倒してゆくもんなあ。ざあざあぶりの雨の夜に。

今日もまた網を張りなおして、梅雨の晴れ間の草引き。夕方、学校帰りの息子が、ねむの花を見に立ち寄る。
学校の話。部活のミーティングがあったのだが、パソコンルームが使用できない、ということになった。放課後、男子たちがパソコンで遊んでいるばっかりの部活である。パソコン使えなくて何するの? 若いほうの顧問が、畑でも耕しますか、と提案したらしい。誰も賛成しないので、話はそこで立ち消えている……らしい。
いいんじゃない。でも、この時期、何か植えるものあるかな?

集団農場、と息子が言うので思い出した。コルホーズとかソフホーズとか。ところが、息子はその言葉を知らない。知らないのだ。地理だけは得意な子が。ぼくが生まれたときにはソ連はなかったよって、その通りですね。
地理で習った。私たちが習ったときには、それは過去の話ではなくて、現在のソ連の話、だった。黄金の小麦畑で、髪をスカーフでまとめた女の人たちが働いている写真を、見たような気がする。

息子、帰って、電子辞書で調べていた。コルホーズとかソフホーズとか。

草引きのあと、私は腰痛。少し働くとすぐこれだ。
庭のあじさい。

f:id:kazumi_nogi:20200629213938j:plain