月蝕のダリア

19日夜、月蝕。学校から帰ってきて、写真撮るという息子と、眺めた。

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年々の買い物籠へ月蝕のダリアほめられもせぬ母のために(泰洋) 

クアドラプル プレイ」

の歌なんか思いだす。たしかにこんな色のポンポンダリアが、スーパーで売られていたり、するなあと。

そしてたしかに、母というもの、だれにもほめてもらえない。

だいたい、だれも、ほめてもらって、育ってないと思う。父も母も、その父たちもその母たちも。

ほめたことも、ほめられたことも、思い出すのが難しいほど。

私の母は、家の前で、お腹空かせて遊んでる子たちに、おにぎり作って食べさせるような人ではあったので、優しい人だったと、死後にほめてもらってた。

23日は、母の命日。40年が過ぎたのかと茫然とする。なにその凄い歳月は。でも、何はともあれ、また会いたいと思える人が親であったということの、幸いに、感謝したい。


さて。ほめられない母のひとりですけれども、私も。気になるのは、ほめることを知らない母なのではないかということで、ちょっと気になって聞いてみた。息子に。きみは何かほめてもらってたりするかな?

最近、私はたぶんほめてないよな、と思ったりして。すると息子、すこし考えて、
「ぼくは、▲すると、パパにほめてもらえることになってるから」
と言った。
ああそうでしたそうでした。
息子、生まれてすぐから、長い長い間、自力で排便することができなかった赤ちゃんなので、はじめておむつに▲したときは、万歳三唱だったと思う。そんなわけで、▲については、どこでどんな粗相をしても決して叱られない子だった。
自分で、出すだけで、たいそう立派なのである。

その後、トイレトレーニングが難しくて難しくて、3歳半検診は、みんなパンツなのに、ひとり堂々とおむつだったのを覚えてるけど、パンツいやおむつがいい、とかたくなだったし、やっとパンツを受け入れても、トイレでするのだけはどうしてもいやで、アンパンマンおまるもいやで、パンツをわざわざおむつにはきかえて、あるいははきかえずに、▲しつづけていた子が、はじめてトイレでおしっこしたときも、▲できたときも、万歳三唱だった。本人は敗北感半端なかったようで、1週間ぐらいは、トイレでおしっこする度、▲する度に泣いていた。

なので、この子は、トイレで▲する度に「立派だ、よくやった」とパパにほめてもらっていたのである。
あんなにトイレきらいだった子が、いまや、トイレ大好きになって、ときどきスマホもちこんで叱られているが、
いまだに、▲したよとパパに報告したりして、すると、「立派だ、よくやった」とパパは相変わらずほめるので、さらに「▲するのは、頭を使ってる証拠だ」というようなことまでいうので、ちょっと勉強した気になれるのが、また、いいらしい。
そんなわけで、叱られるのを回避したいとか、いやなことを忘れたいとか、なんかもやもやしてるとか、いうときは、トイレに行く、というのだった。

きみはいまだに、トイレで▲するだけで、無条件でほめてもらえる子なんだ。日常すぎて、気にとめてなかったけど、なんか面白いな。
ほめられて育った子。
どんな大人になるんでしょ。