夢花火

息子は鹿児島を9日に出て、11日に別府からフェリーで八幡浜に渡るっていうから、じゃあ、八幡浜の港で合流して、宇和島に帰ろうか、ということになった。
その9日に、息子は電車のなかでスマホと学生証紛失したらしい。幸い翌朝見つかって、九州のとある駅からと、大学からと、電話あった。
その頃息子は、青春18きっぷで島原あたりにいて、それからスマホと学生証受け取りに行って、彼はその夜に別府について、私たちは翌日、家を出て、
11日夕方、予定通り八幡浜で合流できたが、いろいろ心配して疲れた。

 

八幡浜の、だんだん蜜柑畑とだんだん墓地。
伊予石城あたり、田んぼにナウマンゾウ。はじめて見るデザインの汽車。すまいるえきちゃん号っていうらしい。

12日。柏島に行く。高知県大月町。けっこう遠いと感じるのははじめてだからだろう。晴れていたら、海の色、凄い青だったろうな。それでもキャンプ場の駐車場、満車、ところてん食べたかったけど、車とめるとこなくて、いやもう、狭い道、海に落ちそうでこわくて、あきらめた。
それでも、山道越えて海が見えたとき、筏が、丸や四角の形に海に浮かんでいるのを見たら、なんかそれだけで楽しい気持ちになった。陸の端っこまできたという、満足感はわりとあったな。

 

宇和島に戻って、夜、兄と叔父の家に寄る。以前は帰ると一緒に釣りに連れてってくれたが、いまは、もうほとんど外に出ないらしい。その家のなかが。
どうせ、このあとは誰も住めないような古い市営住宅なんだが、それにしても。この暑いのにクーラーもなくて、饐えた匂いのこもっているのが、マスク越しにもすごくて。
兄が言うには、風呂を沸かしてやっても気がむいたときしか入らないし、入院していたときに、掃除して布団も洗ってやって、消臭剤もまいたが、帰ってきたら、本人は何にもしないので、たちまちまた、こんなふう。
なんでもないふうに、挨拶だけした。またね。元気でね。

13日。雨かもしれないと心配したけど、天気は大丈夫そうで、息子は朝から駅あたりに遊びに行っていた。宿の近くの駄菓子屋でかき氷売ってて、それが、大150円小100円という安さでうれしく。

梼原の温泉に行って、帰りに、松野の花火大会に行こうってことで、兄を誘っていく。
山の中を県境を越えてゆく。温泉でぼうっとして、まだ時間があるから、町のなか見てみようか、と思って、はじめて知ったんだけれど、町のなか、隈研吾の建築物あるのだ。

 

で、図書館。雲の上の図書館、っていうらしいんですけど、
すごくいい。楽しい。建物もだけど、本の並びが生き生きしてる。ここ、1か月くらい住んで、図書館に通いたいな、と思った。雲の人形、ほしいな。

それから松野まで戻って、暗くなるまで、花火まで2時間待つ。
夜8時50分に、予土線新幹線通過したのが合図みたいに、花火が打ち上がり、すぐ傍の河原から、右と左と同時に2か所から、至近距離で上がるから、音も凄いわ、火薬の匂いもするわ、ここの花火、すごく好き。なんか笑いたくなる。

はーちがつーはーゆめはなびー♪

 

兄は、何十年ぶりだろう、花火見るなんて、と言ってるし、息子は、ここの花火大会の洗礼を受けてたもんだから、街の遠花火は物足りなかったそうで、松野の花火大会にあわせて帰省したみたいなもんだった。

兄と私と、それぞれの息子の、小さかったころの話なんかして、花火までの時間を過ごした。兄の息子は、たぶんもう30歳過ぎだが、小学生のときに会ったのが最後かな、兄もそれから離婚したから、中学からあとのことを知らない。

何もかも夢のようだよね、と。

その人生のことを問われたら、なんか、あやまるしかない、はにかむしかない、こんな人間でこんな人生で、ごめんねえ、という、声にしない声のはしっこあたりが、ひそかに共鳴するみたいな、兄と妹でありますね、それはそれで私たちしか知らない空ですねと、花火待ちながら、思ったりした。

14日。広島へ。息子、はじめての帰省ではある。なんか分厚い教科書持参で帰ってるが、iPadでゲームばっかりやってる。向かいの森はひぐらしの声。