星ヶ丘ゆき

kazumiの日常雑記

だんだん小さくなる / 憎むのでもなく 許すのでもなく

昨日のいちご、91個。今日のいちご、38個。

小指の先ほどの、野いちごのような小さいのが多くなってきた。そろそろ終わり。

『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』

ボリス・シリュルニク 吉田書店 という本。

フランスで、ユダヤ人の一斉検挙があった。ヴィシー政権は、積極的に対独協力し、子どもであっても逮捕された。6歳で逮捕されたが、逃げて匿われ、戦後、精神科医になった著者の自伝。フランス社会が選択した暴力についての証言。トラウマについて、語ること、聞くことの難しさについての本でもある。

ユダヤ人を匿ったり、著者が親しくなったり信頼した人々が、実は反ユダヤ主義者であった、というようなエピソードが、印象的だった。

やりきれないことのようでもあり、救いのようでもあり、なのだが。

以下、抜き書き。

おしゃべりは危険だ。なぜなら、死をもたらす恐れがあるからだ。

私は、自らの物語を自分自身には語って聞かせてきたものの、他人に語ることはしなかった。

私が思い出の断片を少しでも打ち明けると、訊かされた者たちの反応は、唖然とするか、疑わしい目つきで私を見るか、あるいは他人の不幸をよろこぶかであったため、沈黙するしかなかった。

記憶にトラウマがあると、安心感を与える自己の表象を構築できない。

生き延びるのを許してもらうには、黙っているしかない。

同じ状況であっても、人によって思い出は千差万別なのだ。

心が過去の不幸に取りつかれてしまったため、自分を取り巻く生活の出来事に興味が持てなくなってしまう。

心が傷ついた者は、こうして他者と自由に付き合えなくなる。

平和になった時代においてさえ、仲間はずれにするには、「お前はユダヤ人だ」という一言で十分だと理解した。

戦争中に話したのなら、私は殺されていただろう。ところが平和な時代に話したら、今度は信じてもらえなかったのだ。

自己の物語を語った後に語り手が感じる気持ちは、聞き手の反応に左右される。黙って聞く人も、語り手の物語に参加しているのだ。

窮境に対処するのと、へこたれない精神を発揮するのでは、事情が異なる

子どもを安心させるためには、親自身が怯えず安心していなければならない。

本人は自分の物語に悩むのに、周りにいる人々はそのような話を聞きたくないという状況。

自分の物語の、他者と共有できない部分が原因で自分は孤立するのだ

記憶の重荷は現在に陰を落とす。幸福な生活にもどるには時間がかかる。

愛情のない精神的に孤立した状況では、へこたれない精神を養うのは難しい。

別世界から戻ってきた者にとって、思い出と言葉の意味を他者と共有するのは難しい。

トラウマに悩む者は、自ら進んで沈黙するのではなく、いつの間にか沈黙せざるをえなくなるのだ。

戦争中は、命を守るために口に出せないことがある。戦争が終わっても、他人に理解してもらえそうなことしか語れない。

物語は史実ではない。自分が生き続けられるように修正されたものだ。

物語ることは自己を危険に陥れる。だが、黙ることは自己を孤立させる。

私の心の傷を癒したのはフィクションだ。想像力を共有する場は、心の傷を負う者たちの感情を保護しながらも、悲痛を分かち合う場所になっていた。

私は戦時中よりも戦後に苦しんだ。

私は自分が見捨てられた存在だと感じた。社会が私の人間関係を引き裂いた。

自分の物語を自分に語りかける。口には出せないことを自分に語りかけるよろこび。

私と聞き手との溝が深すぎた。大人たちの同情がかえって私の心をおしつぶした。

語らないのは嘘をつくことになるが、語るには苦しみが伴う。

周囲が自分の話に耳を傾ける準備ができていないときや、周囲では、自分が体験したのと異なる話が語られているときに、証言するのは難しく、場合によっては危険でさえある。語れば排除される。沈黙すれば、自分の魂の一部が削ぎ落とされるのに同意することになる。

二三人程度の関係なら、だれかが困っていたら手をさしのべないわけにはいかない。だが、匿名の関係、群衆の場合だと、お荷物を見捨てるのはあたりまえになる。

子どもの心が引き裂かれると、生きる喜びは奪われる。生きる喜びを与えてくれる最後の場所、知的作業の場。

へこたれない精神を発揮しなければならない。心の炎を再びもえあがらせる二つの熾火 理解することと夢見ること。

想像をめぐらすひとときがあったからこそ、私は悲しいことばかりの現実に耐えられた。

死が日常であったため、私には病的ともいえる勇気があった。死を語ることのできない普通の人々は死を恐れる。彼らは死の現場から戻ってきた私のような幽霊を恐れたのである。

戦争、ナチズム、迫害されたこと、孤児院にいたこと、貧窮した生活などを語ることもできたはずだが、それらを語れば、彼らの夕べのひとときは、ぶち壊しになっただろう。

心の奥底にある地下礼拝堂

苦悩を語る方法として歌や詩にして暗喩する

実際に起こったことだが、それらを語る言葉は凍りついていた。

心が傷ついた人は、聞いてもらえる状況にならないと語ることができない。

子どもであっても逮捕されたこと、ユダヤ人を救った正義の人々のことが、世間で認知されはじめてようやく、凍った言葉が溶け出す。

自分たちは無実だと思っている犯罪集団の内部。

自己の記憶は社会的枠組みと強い結びつきがある。

憎むのは過去の囚人でありつづけることだ。憎しみから抜け出すには、許すよりも理解するほうがよい。

「自分を救うのだ、人生が君を呼んでいる」