2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ほんのすこしの水

漫画家の岡田史子が去年亡くなっていたことを、今ごろ知った。享年55歳。もうずっと彼女は漫画をかいていなかったし、私も、彼女の作品を発表当時に読んでいたわけでなく、たぶんもう絶版のコミックをたまたま手に入れて読んだにすぎないのだが、大好きだ…

ともだちたくさん

いつものことながら、あれこれ用事をしているときに限って、子どもがやってきてまとわりつく。 ゴミの山の学校のニュースレターを、いつものように夫に手伝ってもらって作成していたのだが、ちょうど学校の子どもたちの写真がパソコンの画面にあって、夫が「…

「宮本常一の旅」

「ここはいわくに」と子どもが言う。「ここは」のあとに続くのは「いわくに」だと思い込んでいるようすだ。たぶん、義父母のいる山口市へ向かう途中で、「ここは岩国」と親たちが言ったのを、覚えてしまったのだろう。「ここは広島」と何度も訂正したが、か…

お日さま

ゴミの山の子どもたちの絵を見ていたら、絵のすみっこにお日さまがかいてあったりする。雲を青くぬって空を黄色くぬっていたりするのがするのが面白いが、子どもの絵にお日さまが出てくるのは、万国共通だろうか。 小さいころ、絵には必ずお日さまをかいた。…

バロットの夜

フィリピンのゴミの山にあるフリースクールを7月に訪れた人の手記を読ませてもらっていたら、日曜日に市場へ買出しに出たことなど、書いてある。 思い出してしまう。なつかしいリテックスの市場。学校に滞在していて街に出かけたときなど、あの市場まで帰っ…

愛の手紙

カレル・チャペックさんからオルガちゃんへの手紙はこんなふう。 「そしてもし、もう、ぼくから喜びを得ることが出来なくなったら、少なくとも自分から喜びを得るようにしてください。」(1923年6月3日) 「ぼくのもっとも固い信念は、人間は人生を満足…

どんぐり

子どもが、にわかに階段に興味を持ち、大小のボールを階段に並べたり、階段の上から投げて弾んで落ちるのを楽しんだり、危なっかしくてしょうがないのだが、それもこれも、トトロのせいである。どんぐりが階段を落ちてくる場面をやっているのだ。 寝ていると…

少年時

中也の詩を思い出すような夏の昼。高校生の頃に覚えた詩をまだ忘れていないのに少し驚く。 少年時 中原中也 黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、庭の地面が、朱色に睡つてゐた。 地平の果に蒸気が立つて、世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。 麦田には…

カレル・チャペック

カレルチャペックが紅茶屋さんの名前だとは知らなかった。いま検索して驚いた。でも私が探していたのは、チェコの作家のカレル・チャペックのほう。 いま『カレル・チャペックの愛の手紙』(田才益夫訳、青土社)を読んでいる。カレルさん、30歳のときに18…

遠い朝の

中学校のとき、園芸クラブにいて、それは別に園芸が好きだったからではなく、ほかのクラブは運動系も文化系もいろいろすることがありそうで、なんにもしたくなかった私は、花でもみていよう、と思っただけのことだったが、夏休みを前にして、先生が言った。…

『私の一世紀』

ドイツのノーベル文学賞作家ギュンター・グラス氏(78)が、第2次世界大戦中の少年時代に、ナチスの武装親衛隊に所属していたことを告白したというニュースがすこし前にあったが、その後、グラスがそのことを告白している自伝「たまねぎの皮をむきながら」(…

台風のあと

一昨日昨日と雨。そんなにたいした雨でもなかったけれど、台風の雨の気配だった。 子どもの頃、台風が来るとどきどきした。台風が近づいてくる甘い重たい風。父は窓硝子(サッシなどではない、風が吹けばびりびり震える薄い硝子)にベニヤ板やトタンを打ち付け…

トトロ

子どもが、階段を見上げて「まっくろくろすけさあん」と声をあげたりしているのは、いうまでもなく「となりのトトロ」の影響で、すっかりはまっている。 毎朝起きると、「トトロみる」とビデオをまわすことを要求し、画面のなかのメイちゃんが笑えば笑い、走…

ぼうけん

14日から16日まで、山口の義父母のところ。 15日はみんなで秋吉台、秋芳洞に行った。秋吉台は車で通ったことはあるが、秋芳洞ははじめて。子どもが怖がるんじゃないか、とか言っていたが、大丈夫だよ、おっきなトンネルって言えばいいよ、と言い張った…

小林文男先生逝去

小林文男先生が、12日に亡くなったことを14日に知った。享年73歳。しばし呆然とする。先生が、癌で長く闘病されていたことは知っていた。去年の秋に頂いたファックスでは、放射線治療の痛みを訴えておられた。でも、回復したらお会いしましょう、と書…

そりゃ ぼくらの心は

調べごとをしていたら、ラッセル・アインシュタイン宣言に行きあたった。半世紀前(1955年)の核兵器反対決議。次のくだりはおぼえがある。バートランド・ラッセルの評伝を昔読んだとき、心に残った一節だ。 「私たちは、人類として、人類に向かって訴える…

ヨイトマケ

最初は犬に追い返された。次には、もう思い出したくないといわれ、その次には、あんたに話すことは何もない、話してもどうせあんたには何もわからん、と言われ、そこをなんとか、と通ったある日、Aさんは堰を切ったように話し出した。5歳のとき日本にきた…

もちろんきみに

もちろんきみに悪意はないし、畳の上に整列させたミニカーたちの上に、黄砂のようにさんしょうの粉をふりかけるのは、わくわくすることかもしれないし、カレーパウダーの缶をひとりで開けることができるのも悪いことじゃない。それが土砂崩れの道のように、…

死んだ女の子

去年、原爆の日の前夜に、広島の原爆ドームの前で、元ちとせが歌った「死んだ女の子」をあらためてCDで聴いた。あの夜、私たちは原爆ドームまで出かけていったのだが、暑い夜で、まだ1歳だった子どもが眠れなくて泣きやまず、集まってきた人だかりで何に…

宮島

昨日、車を車検に出している間、宮島まで遊びに行こうということになり、カンカン照りのなかを、まずバスに乗る。「ねこバス、ねこバス」とまずはごきげん。それから電車に乗って船に乗って宮島へ。島に着くと、さっそく鹿が迎えてくれる。子どもが「シカさ…

斃(たお)れてのち、はじまる

社会学者の鶴見和子氏が7月31日に亡くなったという。享年88歳。氏の仕事は、最近の対談集しか読んでいないが、「内発的発展論」の提唱と、病にたおれて半身麻痺となってからの生き方は、とても鮮烈だった。免疫学者の多田富雄氏との往復書簡による対談(…

蝿。たった一匹の蝿にいらいらしたりするが、それぐらい蝿を見なくなっているということでもある。子どもの頃は、蝿をよく見た。台所には蝿取りリボンがぶらさがっていて、テーブルの上にのったりすると、蝿取りリボンが髪にくっついて、ひどい目にあった。…

ヒバクシャ

被爆者を、被曝者とも、ヒバクシャとも表記するようになったのはいつ頃からだろう。原爆による「被爆」、放射能に曝されるという意味での「被曝」、そして「ヒバクシャ」のカタカナ表記は、すでにヒバクシャが世界中に存在することを物語っている。中国新聞…

海にさわった

昨日の朝、「海へ行こうよ」と夫が言い出したので、おにぎりつくって、山陰の海まで行った。中国山地の夏の景色をつっきってゆく。ダムのあたり、スキー場のあたり。水と緑がとてもきれいで気持ちがいい。海水浴客のいる海に来るなんて、どれくらいぶりだろ…

傲慢不遜な木っ端役人!

シェイクスピアの『ハムレット』に「傲慢不遜な木っ端役人!」というセリフがあったことを思い出した。中学生のときに読んだのだが、「傲慢」「不遜」「木っ端」とわからない言葉だらけで、辞書をひいたのでよく覚えている。あの頃、言葉の意味は知っても、実…

葉っぱの毛虫

鳥や虫の鳴き声が響き始めた。今日も暑くなりそうだ。昨日は涼を求めて、ダムの上流の小さな渓谷に遊びに行った。冷たい水に足をつっこんで遊んだ。草の上を子どもが一歩あるくごとに、その足さきから、黒い小さな虫たちがはねる。よく見るとほんの小さなこ…

このみちをゆこうよ

ブログのレイアウトが変わっている。とまどう。とてもとまどう。今までのやり方で改行ができない。それにしても暑い一日だった。この暑さにもとまどう。子どもを外に出せないし、家のなかに閉じ込めておくのもかわいそうで、午後、デパートに行く。キッズコ…

ゲーム!

近所の親しい家に遊びに行っていたら、そこには小学生の兄妹がいるのだが、もうだれも使わないから持って帰って使って、と玩具のノートパソコンを出してくれた。子どもはパソコン大好きである。大事に抱えてかえって、さっそく遊びはじめた。キーを押すと、…

八月がくるたびに

梅雨があけたら、いきなりカンカン照りの日がつづく。今日から8月。 8月がくる度に思い出すのは、『八月がくるたびに』(おおえひで)という児童文学書のタイトル。小学校3年のころ、学級文庫にあって、そのタイトルが気になって、何度も読んだ。長崎の原爆…