春の旅。北へ。

春の。弥生三月、息子と青春18きっぷの旅。15日朝、始発で出発、名古屋にたどり着く。移動と宿泊は一緒だが、あとはそれぞれ勝手、というスタイル。私は友人に会って、きしめん、はじめて食べる。息子はどっか、電車おっかけてる。

翌日は、はるか群馬まで。高崎前橋を過ぎ、車窓に関東平野の夕焼けを見て、太田市にたどり着く。
駅前で、いい匂いさせていたケバブのキッチンカーで、中東の人かな、ケバブつくるのを30分ほども見ていたら、なんか、小さな子どもに戻っていく感じがした。お祭りのわたあめとか、いつまでも見ていた気持ちの。まわりは、ブラジルかな、インドネシアかな、外国からの若い人たちばかり。街に工場があるから。30分待ったケバブはたいへんおいしかった。

だいたい息子が、前橋であるコンサートのチケットが当たったので、来ることになったんだよね。二次元世界の女の子が、ただ萩原という名前が一緒というだけで、たちまち聖地っぽくなってるのが、ふしぎ。前橋駅から、文学館まで、それからたぶん、コンサート会場まで、黙って、ひとりで、静かに歩くお兄さんがたが、つづいていた。
前橋文学館に二次元の女の子が飾られていて、それだけで、お兄さんたちの列ができているのだ、大盛況の文学館だった。

息子がコンサートから戻るまで、そこで待ってたわけなんだけど、朔太郎の詩の朗読を、寝転んで聞くことができるスペースが、よかったな。

高校生のとき、娘の萩原葉子の「葦麻の家」を読んで、あまりの陰惨に、衝撃を受けたことを、いきなり鮮明に思い出す。祖母の虐待の話、制服のブラウスが一枚しかなかったから、週末に洗って干して週明けに着ていくのだ、というエピソードがあった記憶。朔太郎は、死ぬ前にやっと娘の前にあらわれた、んだっけ。

息子、コンサートに感動してしあわせそうなので、よかったです。光る棒をせいいっぱい振ってきたらしい。架空の女の子に。
その夜は高崎。きれいな半月。風が強い。

浅間山を見たいと思った。鬼押し出し、行こうと思った。高校の修学旅行で行って以来。それならついでに列車の終点まで行くというので、行きましたわ、吾妻線大前駅まで。風吹いてる、雪残ってる。それから少し引き返して、どっからだっけ、バスに乗ろうとしたら、バスがない。時刻表にはあったらしいんだけど。タクシーで行く。浅間山近づいてきて、どきどきする。鬼押し出し園、着いて、降りましたら、
風強すぎる。寒すぎる。なんという日になんというところに来てしまったんだろう。でも、浅間山美しすぎる。ずっと見ていたい。山肌をさらさら雪が流れるの、さわれそうな気がした。

それから東京へ。ホテルはネットで最安値あたりを探すけど、南千住というところははじめて。泪橋。山谷のドヤ。母との旅はいつも安宿、と息子は言うんだけど、そうでなければ、7泊8日の旅なんてできない。きみだって、ひとりならネットカフェを転々するんだし。

翌日翌々日は、私は友人たちと会って、息子は、天気と自分の疲労を考えて、遠出はあきらめて、都内東側と川崎あたりで電車乗ったり撮ったりをして過ごしたらしい。

ある人の、国立での個展に行った帰り、むかしむかし、半年だけ暮らした武蔵境の駅に降りてみる。桜並木の桜の頃を知らないまま、町と別れた。昔住んだ建物はもうなくて、たぶん、大家さんも亡くなったんだろうな。さようなら。

友人たちと飲むときに息子連れていったら、飲んでるし。二十歳だからいいけど。私の二十歳の頃よりは、ずいぶんお行儀いいけど。

遊んでくださったみなさま、ありがとうございます。

21日、東京を出て大阪へ。車窓に伊吹山が見えるあたり、息子のスマホ画面には、進級判定書。 進級おめでとう。

秋からの謎の体調不良→本試験4科目不合格→再試験1科目不合格 (1問3点の不足だが、その1問は誤答とは言えないはず、として)→1問の可否を争って異議申し立て→異議申し立て認められる、ぎり合格点になる→からの、進級決定。
奨学金も継続。驚異の粘りを、ありがとう。

大阪。とりあえずお好み焼きで進級お祝い。駅の北側に星野リゾート。南側に旧職安とか安宿とか。私たちは南側。閉鎖された職安のまわりに机や毛布やいろいろ積み上げてあるのが、何か巣のようなものが連なっている感じ。生きるたたかいがあるのだとおもう。

翌日、神戸に寄って、広島に戻る。夕焼けの時間なので、混雑を避けてわざわざ海まわり。