2005-11-01から1ヶ月間の記事一覧

落葉

秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。 ポオル・ヱ゛ルレエヌ「落葉」上田敏訳 12歳のとき兄からもらった日本の詩歌全集(かなり欠本あり)の28巻は訳詩集だっ…

きみの知らないところで

NHKハイビジョンでドラマを見た。『きみの知らないところで世界は動く』。 原作は『世界の中心で愛を叫ぶ』の片山恭一。2作品とも原作を読んだのだが、物語の内容はあまり覚えていない。物語に出てくる場所ばかり頭に浮かべて読んでいたのだ。私の郷里の町…

塾通い

東京にいる義弟一家は、今度6年生になる娘の塾が12月末日(!)まであるので、年末年始は帰省できない、らしい。たいへんだなあ。 小学校の6年間、私も塾に通っていた。あまりに人見知りで引っ込み思案なので、これで小学校に通えるのだろうかと心配した母…

向かいの森

玄関をあけて外に出ると、向かいの森の紅葉が目に飛び込んでくる。そのあざやかさに圧倒される。空気まで赤いのではないかと感じられるほど。今年は紅葉がすごいと思う。 向かいの森、といっても昔は庭だった。森の奥には廃屋になった家がある。赤錆びている…

土の道

天気はいいし、街に出たので、子どもを平和公園で遊ばせた。 桜の葉が赤や黄色に降りつもっていて、子どもはその落ち葉を拾っては通りがかった人に渡していた。親としては、その度に「すみません、どうも」と頭を下げるよりしょうがない。以前に通りがかりの…

パヤタスの夕暮れ

フィリピンのパヤタスという地域にゴミの山があるのだが、そのゴミ山のふもとにあるフリースクールの校長のレティ先生から、あれこれの用件の手紙と一緒に、すこしばかり早いクリスマスカードが届いた。以前に一緒に過ごしたクリスマスのことなど、なつかし…

船乗りだった焼き芋屋

今年はまだ聞いていないが、そろそろ焼き芋屋の声を聞く季節になった。ここに引っ越してきたとき、山の斜面の団地の急な坂の上なのに、こんな不便なところにまで焼き芋屋が来るのかと、驚いた。 小さい頃は、よく焼き芋を買ってもらった。風呂屋に行った帰り…

死の側より

死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも (斎藤 史) そうなのかもしれない。でも、「死の側より照明せば」という、死の側からのまなざしを、どうすれば感得できるのだろうと、はじめてこの歌を読んだころからずっと不思議だった…

後ろの正面

昨日は久しぶりに市街へ降りた。気持ちのいい天気で、山の紅葉も、街路樹の紅葉もきれいだった。 平和公園で1時間ほど子どもを遊ばせた。原爆の子の像あたりで、さっそく鳩を追いまわしていた。どんぐりも拾った。銀杏の黄葉のせいだろう、さしこむ日差しが…

火鉢のころ

まだ火鉢を使っていた頃だった。 その病院の待合室は畳の部屋で、火鉢のまわりを年寄りたちが囲んでいた。家族のかかりつけの病院だった。年寄りの (といっても、子どもの目に、たいていの大人は年寄りに見える) 医者さんの自慢は「坂本竜馬もこの病院に来た…

竜馬先生の好きな魚

小学校の頃、よく道の脇の木の上にのぼって、下の道をとおる人を見ていた。魚売りの行商がとおったとき「おばさあん」と呼んだら、おばさんは、どこから声が聞こえてくるのかわからなくて、きょろきょろしていた。 「おばさんは、きれいな服もってるの」と失…

菊の匂い

風が吹いて、向かいの森から赤や黄色の葉っぱがはらはら落ちてくる。 風に押されて、アスファルトの坂道をカサカサ音をたててのぼっていく。 庭は南天や万両の実が赤く色づいて、すでに鳥に食われていたりするのもある。 白い小菊が花盛りで、去年の3倍くら…

風のように年より

ミッキーマウスの誕生日。このあたりのケーブルテレビでは、2年前の今日からディズニーチャンネルがはじまった。2歳になった子どもは、オズワルドくんのお話と、ジョジョちゃんのお話が好きである。 ベレー帽をかぶったジョジョちゃんは、番組の最後に、今…

掃除の先生

掃除は嫌い。真面目にやりはじめると、わずかの埃が腹立たしいし、手を抜いたら、掃除機と化した子どもが、服にも髪にも埃をつけて立っている。 主婦に課せられた、家のなかの埃との、終わりのない絶望的な闘いについて書いていたのは、ヴァージニア・ウルフ…

新しい人よ

昨日の午後、保健士さんの家庭訪問。子どもと遊んだり話したり、親子教室のお誘いなど、30分ほど。「何か気がかりなことありますか」ときかれて「いえ、別に」と答え、答えたあとで不安になる。ほんとうは、気がかりなことはたくさんあってしかるべきなの…

シモーヌ・ヴェイユの手紙

フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユが、詩人のジョー・ブスケに宛てた手紙のなかにも、卵とひな鳥の比喩がある。 「卵の中の暗やみから真理の光の中へと出てこられるためには、あとはただ、せいぜい殻をつき破るだけでよいのです。あなたは既に、殻をこつこ…

鳥は卵の中から

ヘッセの『デミアン』を読んだのは高校2年のとき。戦慄した。 「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。」 『デミアン』高橋健二訳 本の扉に書かれたその言葉に、す…

野を越えて

習字道具の出し入れが嫌いで、習字のある日もわざと道具を忘れて学校に行くような子どもだったのに、書道教室に行かされることになった。近くに越してきた母の知人が教室を開いたからである。小学校から中学にかけての何年間か通ったろうか。習字は結局、面…

1929年生まれ

昨日は母の誕生日。といっても20年以上も前に死んでいる。 「子供は親のことなどほとんど知らないまま見送る時を迎える」と、沢木耕太郎が『無名』という本に書いているのは、その通りだと思う。死んでゆく父のことを書いた小説だった。 私が18歳のとき…

石と霧のあいだで

三つの都市 1 ミラノ 石と霧のあいだで、ぼくは 休暇を愉しむ。大聖堂の 広場に来てほっとする。星の かわりに 夜ごと、ことばに灯がともる。 生きることほど、 人生の疲れを癒してくれるものは、ない。 『ウンベルト・サバ詩集』 須賀敦子訳 ときどき読み…

火星接近

あれはどんなレコードだったのだろう。最初の家には小さなレコードプレーヤーがあったが、まだ自分で操作できない頃のこと、「火星人のレコード」と呼んでいたレコードを、毎日のように「これかけて」とねだって、かけてもらっていた。レコードのジャケット…

チクチクボン

2歳児検診に行った。母子手帳の問診のところに、二語文を話しますか?例「ワンワンキタ」「マンマチョウダイ」など、とある。まさか。いいえ、を○で囲んだ。 診察室に入ると「大きくなったね」と先生。母子手帳を見て「しゃべる?」と訊く。「いえ、あんま…

ブランコと弟

通りに面して祖父母の住む家があった。その家の裏は中庭になっていて、中庭の奥に、二間だけの小屋のような家があった。5歳まで、その家で暮らしていた。 家には玄関もなかった。ベニヤ板の戸をあけると、すぐに部屋で、その奥にもう一部屋。台所もトイレも…

『アンネの日記』

『アンネの日記』は、10歳から15歳の私の愛読書だった。毎年何度も読み返していた。はじめは、少し年上のお姉さんの話をきくように、それから、同世代の友だちの話をきくように。 彼女に教わったのは、何よりまず、大人を見る見方だった。大人たちは勝手…

『悲劇の少女アンネ』

表紙の表にも裏にも、本文のなかも、いつのまにかにぎやかに落書きされてしまっている。 『池内紀の仕事場2 <ユダヤ人>という存在』(みすず書房)。「アウシュヴィッツのユダヤ人」という鮮烈な内容の序文をもつ本。子どもの落書きに似つかわしい本では、…

昼はとほく澄みわたるので

ひとよ 昼はとほく澄みわたるので 私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ 立原道造「わかれる昼に」 きれいな秋の一日だった。 『日本の詩歌』(中央公論社)全集がわが家にきたのは、小学校6年の終わり。東京だか大阪だかにいた年の離れた兄が、…

大きいみかん小さいみかん

子どもはみかんが好きである。テーブルの上においてあるのや、ネットに入ったままのを大事そうにかかえてきて「くう (食う)」という。皮を剥き袋をとってやるのは面倒くさいが、しょうがない。 みかんといって思い出すのは、幼稚園のときのことだ。引っ越し…

みっちゃんが死んだ日

文化の日。 中学1年の文化祭の日だった。友だちが死んだ。校内放送で校長先生が彼女の死を告げた。小学校6年のときの同級生で、みっちゃんといった。中学にあがってからは、クラスも違って、めったに会わなくなった。私は彼女が入院していたことも知らなか…

船の絵

誕生日はスパゲティと苺のケーキでささやかに過ぎた。たくさん食べたあと、子どもは部屋のなかで両手をひろげて、くるくる回って遊んでいた。目がまわって倒れるのではないかと思うが、それが楽しいらしいのだ。 同じことを私もしていた記憶がある。祖母の家…

空からの風

11月になった。11月は、空を見上げている記憶。 この月は、身近な人の誕生日と命日がいくつもある。たぶん、生まれたり、死んだり、そういうことについては、きっと空を見上げるよりしょうがなくなってしまうからなのだと思う。 1日の今日は子どもの誕…