大きいみかん小さいみかん


 子どもはみかんが好きである。テーブルの上においてあるのや、ネットに入ったままのを大事そうにかかえてきて「くう (食う)」という。皮を剥き袋をとってやるのは面倒くさいが、しょうがない。

 みかんといって思い出すのは、幼稚園のときのことだ。引っ越して間もない家で、机の下にもぐって本をみていたら、通りがかった隣のおばさんが窓からのぞいて、「みかんをあげよう」と私にみかんをくれた。そのみかんを、「こんな小さいみかんなんか食べない」と言って私は窓から放り投げた。
 「まあ、今度越してきた家の、女の子は、おそろしいわよ」と、近所で噂になった。

 そのときのことを覚えている。よく知らない人からものをもらったことに、とまどったのだった。それに大きなみかんは皮が剥きやすいが、小さいのは剥きにくい。剥けないみかんをもらって、どうしていいかわからなくなって、とにかくそのみかんはいらないのだ。

 いまでもおばさんに会うと「あんたは、昔は」とあのときのみかんの話になったりする。「それがまあ、人の子の親になって」と感慨深げ。 きっとずっと言われるのだろう。

 おばさんの娘と、昨日10年ぶりぐらいに会った。同じ街に住んでいるのに、とても久しぶりだ。子どものために、彼女の小学生の娘のおさがりのおもちゃや絵本を一抱えもらって帰ってきた。これは、たいへんうれしいみかん。