みっちゃんが死んだ日


 文化の日

 中学1年の文化祭の日だった。友だちが死んだ。校内放送で校長先生が彼女の死を告げた。小学校6年のときの同級生で、みっちゃんといった。中学にあがってからは、クラスも違って、めったに会わなくなった。私は彼女が入院していたことも知らなかった。下校時の廊下の隅で、小学校のときに仲のよかった友だち数人で声をあげて泣いた。悲しい、というより、びっくりして泣いていた。

 みっちゃんに会ったのは6年生になったときだった。ずっと彼女は入院していたし、クラスもちがったので、それが最初の出会いだ。みっちゃんはとても太っていて、それは薬の副作用だということだった。わたしたちは帰り道の方角が一緒で、もうひとりかふたりの友だちと、毎日のように一緒に帰った。

 みっちゃんのことを思い出すと、あの頃の私の生意気や自分勝手も見えてきて、すこし胸が痛い。あの頃、財布をもって学校に行ったりはしなかった私たちのなかで、みっちゃんだけが財布をもっていて、何十円か貸してくれる。そのお金で帰り道、チョコレートや飴を買って食べた。私がよく習字の道具を忘れるので、毎週のように「明日、習字があるよ」と前の夜に電話をくれた。それでも私は忘れたいときは忘れていった。道具の出し入れが面倒臭くてきらいだったのだ。

 みっちゃんが死んで、私たちは泣いて、お通夜とお葬式に行き、それから、みっちゃんのことを忘れて大人になった。手芸が得意だった彼女がつくってくれた、たぬきのマスコットだけがいまもある。

 あのころ、みっちゃんの大きな体にふざけて抱きつきながら歩いていたことを、何かの拍子に思い出す。彼女はまるで大人のようにおだやかにほほ笑んで、受けとめてくれていた。彼女は運動を禁じられていたし、一緒に何をする、というわけではなかった。ただいつもおだやかに、かたわらにいてくれた。あれは得がたいやさしさだったと、いまにして思う。

 小学校の卒業前に借りて、そのまま返しそびれていた何十円かは、ついに返せないままになってしまった。