2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧
昔バイトしていた店に半年ぶりぐらいに行く。行ってごはんを食べても食事代をとってくれないので、かえってなかなか行きづらいのだ。昨日はそれで、知人の家を訪ねるからといって、お好み焼きを4枚、お持ち帰りにしてもらって、それなら代金をとってくれる…
北海道の浜にはまた、大量の秋刀魚が流れ着いたという。なんだか圧倒されるような映像だ。 2日ほど前、近所でもらった秋刀魚は、三重のほうの人がくれたものとか。すこし干したものを凍らせてある。きっと冬の保存食なのだろう。尻尾のところで、まとめて紐…
数日ぶりに晴れ。掃除は、はじめてみれば終わりがない。どこかで妥協してやめるしかないのだが、まだ妥協できるほどきれいになっていない。ので、今日もこれから掃除。 昔、母は、捨てるのはもったいないからと言って包装紙の1枚も捨てずにとっていた。棚の…
今日も雨。向かいの森の紅葉がきれい。 「秋風秋雨人を愁殺す」という言葉など思い出す。武田泰淳の小説でも知られるが、中国の女性革命家、秋瑾のあまりにも有名な詩。 絶命詞 秋瑾 秋雨秋風愁殺人。 (秋雨 秋風 人を愁殺す) 31歳で処刑された秋瑾は、ほん…
今日も雨。向かいの森の紅葉が、雨のなかいっそう鮮やかで、外に出る度、息を呑む。 秋の終わりの雨は、うっとりしてばかりもいられなくて、押し入れの防かびシートの取り替え時期だと思い出す。昨日は、布団だの毛布だの衣装ケースだの、なかを全部ひっぱり…
子供 海がすっぽりはいる絵で 一羽の白い鶴を折る 北島(ペイタオ)の詩「太陽の都ノート」から 子どもがマクドナルドのレシートを拾ってきて、「M」という。レシートにMのマークがあるのだ。つづけて「かみひこうき」という。小さなレシートで紙飛行機を折…
昨日は1日じゅう雨だった。庭や向かいの森の紅葉が、雨に濡れて、体に染みとおってくる気がした。なんでもない景色が、きれいだ。 子どもはピンクの傘を半ばひきずるようにしながら、長靴で水たまりのひとつひとつをびしゃびしゃ踏みながら、ほんの近所に行…
「かさ」と小さく叫んで子どもは走り出した。夕方の運動公園で、もう帰ろうとしていたころに、帰り道とは反対側に走っていく。何なのかわからないまま、あとをついていって、ようやく、「かさ」というのは、ベンチの上の屋根のかたちが傘のように見えるのを…
昨日の午後、近くの集会所でカラスの会の催しがあるというので、行ってみる。カラスの会といっても、カラスとは関係がない。このあたりではたぶん名の知れたまちおこしグループだ。地域の古い写真や映像をずいぶん集めて、展示上映などしている。平日の昼間…
その詩を、なんの本で読んだのだろう。学生のころに読んだのだが。ノートに書き抜いているので、それからあとも忘れずにいる。ある時期、とても好きな詩だった。なにかしら切実だった。森川義信の「勾配」という詩。 その詩のことを思い出したのは、長田弘の…
昨日も雨。平和公園でボランティア関連の催しがあって、フィリピンの植林をしている知人のグループのブースもあるというので、顔出しに行く。写真展示とラタン製品の即売。ラタンの籠は全部売れたそうでよかった。 雨の平和公園を、子どもははじめて自分で傘…
昨日は1日じゅう雨。こたつにもぐってうとうとしているのは、とてもしあわせ。だったが、「こら、おきろ」と子どもに起こされた。「ごはん、たべるねー」と催促する。なかなかうるさい現場監督なのだ。 引き出しの隅から残り毛糸が出てきた。すこしだが、子…
朝夕寒くなってきた。冬支度を急がなければ。 デパートのキッズコーナーは、まず例外なくおもちゃ屋の近くにあり、おもちゃ屋では、見本の機関車やレールのおもちゃで遊べるようになっていて、子どもはそこに貼り付いて動かない。他の子がいても一緒に遊ぶで…
長田弘『知恵の悲しみの時代』は、古い本のなかに、戦争の時代がかき消してしまった、そして忘れられていた大切な声を、ひろいあげていて、心にしみる。 あとがきの言葉を借りれば、<昭和の戦争の時代を「知恵の悲しみの時代」として、その時代に遺された本…
一昨日の夜は義母がきていたので、ひさしぶりに外食。自分でご飯をつくらなくていいのはしあわせだ。テーブルに蝋燭がともされていて、子どもはそれを吹き消したがる。太い蝋燭なので、誕生日ケーキのようには消えず、ゆらゆらゆれる。そのゆれるのがたまら…
11月は、灰色の空と、紅葉の木々。11月はときおり空気が冷たく、季節が、終わりへ向けてひた走る。 11月はどういうわけか、好きな人たちの誕生日と命日がひしめいていて、そのせいなのか、11月の空気は、生まれる前や死んだ後につながっているような…
雨上がりの朝、外に出てみると、向かいの森の紅葉は一気にすすんだようで、雨に濡れた赤や黄色の葉がきれい。3年前、子どもが生まれて、退院して帰ってきたとき、こんなふうだった。たった1週間で、秋が深くなっていた。 石の上に秋の鬼ゐて火を焚けり 富…
気がつくと、高校1年のころのことを、ぼんやり思い出したりしている。たいした進学校でもなかったし、市外の田舎のほう、海や山のほうから来ていた生徒も多くて、素朴だった。なんていうか、山や海やみかんや魚の匂いがするようだった。いちおう選抜クラス…
窓 開け放たれた窓を外部(そと)から見る者は、閉ざされた窓を透して見る者と、決して同じほど多くのものを見ない。蝋燭の光に照らされた窓にもまして、奥床しく、神秘に、豊かに、陰鬱に、まどわし多いものはまたとあるまい。白日の下に人の見得るものは、常…
7日、子どもの3歳児検診に行く。小さい赤ちゃんたちがたくさんいて、ほんのちょっとまえまで、自分も赤ちゃんを抱いていたのだと思うと、不思議なようだった。今つれているのはすでに赤ちゃんではない。検診のついでに栄養指導も受ける。この部屋で栄養指…
やりきれないのは、その死が自殺であったということに尽きる。結局、履修不足はないとしていたその高校も履修不足であったのだし、整合性がない、生徒に説明がつかない、と悩んでいたと、ニュースに出ていたけれど、先生やっぱり死んだらいけん。先生の高校…
今、ネットでニュースを見た。涙がとまらない。愛媛の高校の校長が自殺。何げなく読みはじめて、息がとまった。まちがいない。私の、高校一年の時の担任だ。政岡博先生。国語(現代文)の担当で、私は先生の授業を大好きだった。芥川龍之介の「花火」(というタ…
読売新聞の最近の書評がネットで読めることは少し前に知った。これは便利で嬉しいけれど、いい書評だけを選んで載せているわけではないようで、もう過去の方角へ行ってしまっているから書きますが(でも検索すれば出てくるけれど)、『シモーヌ・ヴェイユの哲…
一昨日だ、夕方、運動公園で遊んでいたら、隣の団地の顔見知りの人が、バイクに犬を乗せて連れてきた。「ワンワン」と子どもは喜ぶが、その程度のことではすまなかった。 小さな柴犬の大好きな遊びは、投げられたボールを拾いに行くことで、それが山の急な斜…
学生の頃、中国語学の講義に「説文解字」というのがあった。漢字だけの文献のコピーを渡されて、それを読んでいくというものだったが、「告」という字は牛が口をうごかすことによる、というふうに、文字の成り立ちについて書いてあるようだった。あとは眠か…
中国人留学生の姿を追ったドキュメンタリーシリーズの最終回、「泣きながら生きて」を見た。 http://www.fujitv.co.jp/ichioshi06/061103nakinagara/index2.html 圧倒的だった。青春期を文化大革命で学ぶことができず、人生をやりなおすために、家族をおいて…
おさない よろこび ウィリアム・ブレイク まだ名がない 生れて たった二日(ふたひ) では おまえを何とよぼう あたいは楽しい よろこび が あたいの名 ゆかしいよろこびよ おまえの上にあれ かわいい よろこび 生れてたった二日の ゆかしいよろこび ゆかしい…
みかん 楠 繁雄(10歳) ちいさいみかんは みかんのこども ぼくは にんげんのこども 『どろんこのうた』(沖野猛編著、1981年出版)より。 みかんの時期になると思い出す、大好きな詩だ。『どろんこのうた』は、野村学園(愛媛の知能障害児施設)の子どもた…
高校の履修不足の問題のひろがりには驚いたけれど、そうなったのも仕方ない気はする。地方の高校で塾にも行けなかった自分のことを振り返っても、受験勉強といったって学校の授業が頼り。履修する教科を減らしても、受験対策に配慮してくれるのは、もしかし…