秋刀魚

 一昨日の夜は義母がきていたので、ひさしぶりに外食。自分でご飯をつくらなくていいのはしあわせだ。テーブルに蝋燭がともされていて、子どもはそれを吹き消したがる。太い蝋燭なので、誕生日ケーキのようには消えず、ゆらゆらゆれる。そのゆれるのがたまらないらしく、声あげて喜んでいた。
 昨日の晩御飯は、安売りでしかも半額シールを貼られた秋刀魚。こんなに安いと、それだけでうれしい。そういえばこの秋はよく秋刀魚を食べる。たぶん、安いときが多いのだろう。
 
 秋刀魚といえば佐藤春夫の有名な詩があるけれど、それが、自分の妻に逃げられた春夫が、谷崎潤一郎の妻と恋仲になったころの詩だということは、さっき読み返すまで忘れていた。
 
    秋刀魚の歌   佐藤春夫
 
あはれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはそが男がふる里のならひなり。
(以下略)

さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はましくをかし。
 
 思い出すのは、もうずっと昔に読んだ本だけれど、中上健次がエッセイ『鳥のように獣のように』に書いていた言葉。
 「貧しさが本当である……貧しさの幸せを恋うる」
 同じ和歌山新宮の同郷の詩人だった佐藤春夫の、この秋刀魚の詩に触れて書いていた言葉のように記憶しているけれど、もしかしたら記憶違いかもしれない。でも秋刀魚を見ると(秋刀魚が安値のときには)思い出すのだ。
 「貧しさが本当である……貧しさの幸せを恋うる」という言葉。