跡形もなく

 長田弘『知恵の悲しみの時代』は、古い本のなかに、戦争の時代がかき消してしまった、そして忘れられていた大切な声を、ひろいあげていて、心にしみる。
 
 あとがきの言葉を借りれば、<昭和の戦争の時代を「知恵の悲しみの時代」として、その時代に遺された本を通して書くこと。> <気もちの素となったのは、昭和の敗戦後すぐにでた世界古典文庫版で読んだ、グリボエードフの死に同時代人としてプーシキンが寄せた言葉──「すぐれた人々は跡形もなくわれわれの許から消えてゆく。われわれは怠惰で無関心である。……」──でした。>
 
 たとえば木村壮太の『林園賦』(著者名も書名もはじめて知る)のなかの次のような言葉。
 
 「凡そ真理が簡明であつて、幸福の青い鳥が我が家に住み、善のまことの姿が他寄(たより)のない装ひをして人の心を訪づれるといふことほど、明らかであつて、而も深く、且つ人が知つてゐて、而もややともすれば忘れ易く、又生かし悪(にく)い事実はない。我々が日常、善人と呼んで、尊び、愛し、親しみ、懐かしみ、頼り、信ずるのは、この簡略な、而も得がたい事実を己れの生活の上に自然に生かして行ける人々である。
 我々はあらゆる時代に、この隠れたる宝に似る人々の存在を人類の間に感じ、かくて所謂「軍鼓の歴史」以外に、これらの人々が人類の平和な居常の生活を常に維持して行くことを知る。而も彼等はいつも忘れられ勝ちである。」
 
 木村壮太は伊藤野枝を好きだったらしい。1923年の関東大震災の直後、伊藤野枝大杉栄と七歳の甥とともに惨殺される。ずっと後、その死を回想して書いている。「感情や、感動で動けるような思いなら、なんとでもいつていい現わせる。人の究極の思いは、実に、石みたいに押し黙つて、涙も出ず、言葉も出ず、ため息きも出ず、空しき凝視あるのみである。茫然佇立あるのみである。余は沈黙あるのみである。」
 
 思えば、その一生の間、戦火を浴びることなく、兵士になることなく、銃をもつことなく、生きられるとすればそれは、得がたい恩寵のようなことかもしれない。そうして、「この隠れたる宝に似る人々の存在」を知ること以上の幸福は、きっとない。