tragedy

「人間が怠惰になったら、民主主義は滅びます」
高校1年のときにならった英語の教師の口癖だった。なんだかしきりに思い出した。だいたい全体的に英語の成績の悪い学校で、なかでも私は際立ってできないほうだったけど、英語の先生、生徒に勉強しろよ、怠けるなよ、というのに、そういう言い方をするんだった。
ああ、民主主義。やっと手にしたよいものを、手放してはいけないよ、と聞こえたのは、先生もそうだったし、親たち、まわりの大人たちも、戦前生まれの世代だったからなんだろう。
でも先生、私たちが民主主義って思ってきたものって、ほんとは何だったんでしょうか。

本が、どこにいったか、タイトルも忘れたけど、20年くらい前に、イタリア南部のマフィアの話を読んだことがあって、政治も経済も人々の暮らしも何もかもマフィアに牛耳られている世界、悪に加担せずには生きられなくなっている世界を記録したルポだけど、細部忘れたけど、その世界の感触に似ている。この国の民主主義。



で、英語。いまだにこんなに徹底的に英語できないままで、よく毎年フィリピンに通い続けて、なんとかやってるもんだよなと、そのあたりのことは、自分でも不思議だわ。
tragedy というのだ。悲劇。この単語、覚えておこう。以前、パヤタスのゴミの山が崩れて数百人が犠牲になった事故のときに使われていた。Payatas tragedy。
こんど行ったらきっと聞かれるわ。Japan tragedyについて。

日本の悲劇。地震の、津波の、原発事故の、それからこの国の、民主主義なるものの、悲劇。



目にとまった記事と映像。

アイリーン・スミスさんのインタビュー。
夫は水俣の写真を撮ったユージーン・スミスさん。
福島原発被ばくへの対応は、水俣病への初期の対応の失敗を繰り返してるという指摘は重い。住民が被害者同士が分断されてしまうこと。隠されたために、病気が広範囲にひろがってしまったこと、等。
 
http://www.ustream.tv/recorded/15858699#utm_campaign=synclickback&source=http://penguinkitchen.blog54.fc2.com/blog-entry-915.html&medium=15858699

今はもう公開を控えるようになったらしいけれど、ユージン・スミスが撮った有名な胎児性水俣病のともこちゃんの写真、おかあさんがおふろにいれている写真は、ともこちゃんが、私の親戚の、死んだ女の子にとても似ていて、好きだった。
従姉の娘に5歳年下の子がいて、脳性まひで寝たきりで17歳で死んだんだけれど、あの子が生きていた空間は、私の子ども時代の、とてもやさしい記憶につながっていて、なつかしくて、思い出すと、こみあげてくるものがある。

チェルノブィリ関連から

チェルノブイリ被害者支援活動を続けるドイツ人医師、ジーデンドルフ女史インタビュー
日本語訳 http://www.facebook.com/groups/fukushimadaiichi?view=doc&id=186173688109698 またはhttp://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/2f7dbec88afae5b028b4215c0e4f278f

すこし前の記事、
チェルノブイリの経験を生かして悲劇を回避せよ――松本市長/医師・菅谷昭http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/87adf82c8e8e79c78d307293e4538587/

つきつめれば、耳傾ける価値があるのは、苦しんできた人と、苦しむ人に寄り添って生きた人の、言葉のほかに、ないように思える。
それを知るのを怠けてきたのが、私たちの民主主義の悲劇なんだと思います。