チェルノブィリ25年

深夜、BS世界のドキュメンタリー「シリーズ チェルノブイリ事故 25年」
という番組を見ていた。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html

永遠のチェルノブイリ
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110509.html

被曝の森はいま
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110510.html

見えない敵
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110511.html

自分では録画できないので(機械が操作できないという意味ね)深夜、眠い目をこすりながら、なかば眠りながら見ていた。
事故後に生まれた女の子の甲状腺障害。
チェルノブィリを舞台にしたゲームで遊ぶ子どもたち。
繁殖する前に死んでしまうチェルノブィリの夥しい奇形のつばめたち。
事故後の処理にかりだされて健康被害に見舞われた元兵士は、どんなふうに最後、死んだのでしたっけ。病気でしたか自殺でしたか。発見されたとき身元がわからなかったらしく、身元不明者のみすぼらしい墓地に埋葬されていた。私たちと同世代、だ。
あの墓地の場面は、悲しかったな。

遠い国の話でもなければ、過去の話でもないと思うんだけれど。とほうもないみじめさの、みじめさの、みじめさの。
広島の原爆の比ではないでしょう、福島の放射性物質の飛散は。
と考えると、めまいしそうなんだけど。
これがチェルノブィリ25年の現実だから、たぶんこの国の未来もそうだから、覚悟するよりしょうがない。空を奇形のツバメが飛び交うことも。
……子どもたちを逃がしたほうがよくないか。

政治は、たぶんなんにもできないんだろう。ウクライナは、チェルノブィリのあと、ソ連から独立した。ほかにしょうがないんだ。この国では唯一できることが不信任決議案だったんだろうけど、こんなにむざんだと、もう笑うしかない。いま最低最悪の政府だと思うけど、それも民主主義国家の国民の選択と思えば、やっぱり笑うしかない。
不思議の国のアリスだって、ガリバー旅行記のガリバーだって、こんなへんな国に迷い込んだら、ご愁傷さまだ。

そもそもが嘘ついて、政権とった政府だけど、こんなに嘘つくのがあたりまえになったら、それはもう腐ってるっていうと思う。
政府だけじゃない。ふつうに考えて、原発がこんな事故起こしたら、企業はほかの原発だって、誰に言われなくても停止させて当然と思うけど、なぜそうしないのか、理解できない。電気がなくなったら困るって、国民も言う。電気くらいなんだろう。命がなくなるかもしれないのに。
遠くドイツやスイスで脱原発がすすんだのなら、それはせめてもの慰めとして。
ふつうに考えて、基準値以下だろうが(だいたい、その基準値の変更が、殺人的だろう)被ばくした食材を売る、人に食べさせる、なんて、人としておそろしくてできなくないか。数値を計らない、にいたっては、悪質というべきだと思う。風評被害という言葉を脅しのように使って。
収入がなくなるとか、そんなことより、死んだあとの閻魔さまがこわくないか。

こうなってくると、この世がいかに理不尽で狂っているかということを、まず子どもには教えなければいけないのだろうなあ、と思う。
にもかかわらず、良心を裏切らずに生きることも、運命を価値に変えることも、勇気のある人にとっては可能なのだよ、と。

これはとても、とても難しいことだよ。