放射能というストレス

放射能というストレスについて。

原発事故による放射能汚染がもたらす健康障害について、「ストレスがよくない」「心配しすぎで病気になる」という発言が、いかがわしく聞こえるのはなぜだろうかと考える。
心配しすぎるあなたが悪い、と聞こえるからだ、と思う。

でも実際、人間は、ストレスで病気になったり死んだりする。「ストレスがよくない」のは嘘ではない。ストレスはあなどれない。

チェルノブィリの事故について、「コミュニティの崩壊がストレスを生み、それが免疫力を低下させる」という報告があると聞いた。事故後、平均寿命が短くなったのは、ストレスによるアルコール依存や自殺も多くあるからだという。そうなのかもしれない。

でも、ストレスが体によくないという事実の提示など、ストレスを感じている人にとっては、たぶん、なんの救いにもならないし、もしそこに、ストレスを感じてるあなたが愚かだというニュアンスがあれば、ストレスはむしろ増大する。

言うとすれば、せめて「原発事故のせいでひどいめにあう。放射能障害で病気になるかもしれないし死ぬかもしれない、でも大丈夫かもしれない、人によって意見は違うし、わからないし、わからないからストレスだが、ストレスが大きいとひどいめにあう確率が高くなるから、気をつけて」
という程度の、共感をもった文脈はほしい。

放射能は深刻なストレスだ。地域によっては、あるいは人によっては、避けようもない。
心配しなければいいのだ、心配しなければ少なくともストレスによる免疫低下は免れる、ということでもない。心配を手放したら、もっと危険にさらされるんじゃないか、という懸念を、たぶん誰も払拭できない。
たとえば離婚はストレスだが、そのような不幸ななりゆきになれば、離婚がストレスだからといって、離婚しないこともストレスの持続でしかない。

とすると、放射能障害と別に、ストレスによって病気になる、と考えるのでなく、放射能汚染がもたらすリスクのなかに、癌や白血病や心臓病や、あらゆる疾患や、ぶらぶら病などと一緒に、ストレスによる免疫低下や、鬱病や自殺、精神障害、アルコール依存なども含めて考えたほうが、合理的じゃないだろうか。

実際、どこまでが放射能障害による免疫低下によるもので、どこからが、ストレスによる免疫低下によるのか、という区別は、学者にとっては大問題かもしれないが、被ばくさせられる側にとっては、どちらでも同じなんじゃないか。

被ばく者の側にたった文脈がほしい。
ということなど、考えた。



「東京に原発を!」デモ。の巻‐雨宮処凛‐マガジン9
http://www.magazine9.jp/karin/110928/