『原爆文学という問題領域 増補版』

『原爆文学という問題領域 増補版』川口隆行  創言社 本体2200円

いろいろと書きたいのですが。まず、本が出ました、というお知らせ。
楽しみにしてたんです。

目次から。

第一章 原爆文学という問題領域(プロブレマティーク)
  『夏の花』『黒い雨』の正典化、あるいは『原爆文学史

補論Ⅰ 小沢節子『「原爆の図」──描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』

第二章 朝鮮人被爆者をめぐる言説の諸相
  七〇年前後の光景

第三章 メディアとしての漫画、甦る被爆都市の記憶
  『夕凪の街 桜の国』

補論Ⅱ 福間良明『「反戦」のメディア史──戦後日本における世論と輿論の拮抗』、吉村和真福間良明編『「はだしのゲン」がいた風景──マンガ・戦争・記憶』

第四章 被害と加害のディスクール
  戦後日本と「わたしたち」

第五章 「あやまちは繰り返しません」と誓ったわたしたち

補論Ⅲ 原爆テクスト教材論──大牟田稔「平和のとりでを築く」を取り上げながら 



増補版あとがきから

「目の前でおこっている過ちのいっさいを過ちではないのだと必死に言いくるめようとする者がいる。無力であること、おろかであることの痛みを可能なかぎりひきうけようとする者もいる。
 二〇一一年三月一一日の震災、原発事故によって、長すぎた日本の戦後は終焉した。このひと月、国内外で「歓待の思考」(鵜飼哲)が実践され、新たな連帯の兆しを見出すこともできる。だが、原発の状況も含めてすべては予断をゆるさない。避難民や放射能をめぐる感情の軋轢はすでにあらわになっており、差別と排除の情動が不気味なうねりとなって私たちを呑み込まないと誰が言えよう。震災に乗じて朝鮮学校への補助金打ち切りを決定する自治体が相次いでいるが火事場泥棒というほかない。近い将来、日本は脱原発の道を選ぶかもしれないが、余剰となった機械、設備をそっくりそのままアジア諸地域に輸出しないとは限らない。私はそのような復興を拒絶する。
 本書は、二〇〇八年四月に刊行した『原爆文学という問題領域』の増補版である。旧版に最小限の修正を施したうえで、旧版刊行後に発表した論考のうち教材・教育論一篇を選び、「補論Ⅲ 原爆テクスト教材論──大牟田稔「平和のとりでを築く」を取り上げながら──」を書き加えた。教材・教育論は、第一章の原型となった論考を十年まえに発表して以来の課題のひとつである。
 日本の戦後の終焉は、本書のおかれる文脈を大きく変えたはずである。三・一一以降の状況に十分応える内容かどうか、いささかこころもとないが、ご批正は今後の模索の糧としたい。手にとって頂いた読者にとっても新たな戦後を構想する一助となれば幸いである。(以下略)」
二〇一一年四月一一日 



たいへん刺激的な本です。
この国の戦後66年が何だったかを、考えさせられる。この国の戦後が、全然ちがう見え方で、見えてくる。3・11のこの時期に、増補版が出たことも、とても意味のあることと思います。
本、ご希望の方、著者に取り次ぎます。メールください。(割引価格、と空耳に聞いたような。)

第三章について、以前に書いた日記から。
http://yumenononi.blog.eonet.jp/default/2011/02/post-81d7.html
「補論Ⅲ 原爆テクスト教材論──大牟田稔「平和のとりでを築く」を取り上げながら」も非常に大事な問題提起を含んでいます。
平和を訴える写真が、「「絶望」をごまかす装置」として機能してしまいかねないこと、など。また書きます。 

現在の原発事故について、一部御用学者らの言説は、「絶望をごまかす装置」になりさがっているし、それは、人々に緩慢な自殺を強いることになるんだと、また憤りをあらたにしたことでした。