「隠された放射能汚染を暴く」

子どものころ、国境線ひとつで、住む世界が全然違ってしまうことが、不思議でしかたなかったんだけれど、今きっと、西日本と東日本では住む世界が違って、原発からの距離によっても、風向きによっても、地方自治体によっても、そこの首長の判断によっても、それから、個々人の得る情報によっても、それをどう判断するかによっても、住む世界が違う、そこにいる人々の、現在と未来の運命も違ってくるだろう。
放射能放射性物質も目に見えないし、想像力のなかで色づけするしかないんだが、どんな色と思うにしても、途方もない悪夢のなかにいてしまうことだけはきっと本当で、この悪夢は何十年もつづくだろう。

マリーゴールドが育たなかったことについて、姉妹が喧嘩した、という場面がある。トニ・モリスンの「青い目が欲しい」という小説。青い目を欲しがった黒人の女の子が、差別や暴力や孤独の果てに狂ってしまうのを、近くで見ていた幼馴染の姉妹が、庭に植えたマリーゴールドが枯れてしまったと、互いをののしっているんだけど、本当は、土壌そのものが悪くて、マリーゴールドは育たないのだ。
風評被害という言葉は生産者と消費者を対立させるし、補償という言葉は、政府や東電と、避難を強いられた住民とを対立させるけれど、それもこれも、なんてむざんな。
子どもを守ろうというただそれだけのことでも、あらゆるところに亀裂がある。たぶん、ひとつの家族のなかでも。

隠された放射能汚染を暴く
2011年05月30日(月) 週刊現代 経済の死角
安全基準を超えた「内部被曝」(要精密検査)すでに4766人、異常値を示した人1193人
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/6318

私たちはもう、この地上から一掃されてしまう直前の、片隅の埃のようかもしれないし、そう思うと生きた心地もしない。

子どもたちがかわいそうだ。10年後20年後、子どもたちはどう思うだろう。守ってもらった、と感じるだろうか、犠牲にされた、と思うだろうか。