フリーズちゃん

トニ・モリスンの「青い目がほしい」という小説で、青い目を欲しがった黒人の女の子の不幸が描かれてゆくんだけど、その女の子の不幸は誰のせいなのか。女の子の友だちだった少女とその姉は、女の子の不幸に傷つきながら、マリーゴールドが咲かなかったことについて、お互いを責めあったりしている。本当は、土壌がだめだったのだ。
そんな話だったと思う。

少年が死んだ。不幸に関与したのは、誰か。担任、校長、その他の教員たち、荒れていた学年、万引きした生徒、受検システム、たぶんすべてが関与しているが、他者を責めることも自己弁護することも、ひどくむなしく見える。土壌がおかしいのだ。

すべてが、まとめて地獄へ呑み込まれてゆくような、オセロゲームの白がひとつずつ黒に変わり、すべてが黒に変わってしまうような。この絶望感は何だろう。

その絶望をまず前提として、生きのびることについて、考えなきゃいけないのは、疲れる話だ。何かが根本的にまちがっているのだが。

息子の担任の先生が、採点ミスをしていて、息子にそれを指摘されたとき、「大人だって間違うことはあります」って言ったらしい。いいセリフだ。私たちは間違いだらけの世の中を、生きて行かなくちゃいけないんだよ。
せめて、ひとつずつ、黒を白にかえようとしながら。



息子のピアノ仲間のYくんの3年生の妹は、いまチックがひどい。目からはじまって、顔全体、手足にまできて、こないだはレッスンに来たのにレッスンが受けられないという状態だった。

給食が苦痛で、ふれあい教室に行っていた。ふれあい教室を利用することで、なんとかやっていけていた。テストはたいてい満点という賢い子。ところが学級崩壊で、先生がいなくなったり変わったりしたときに、ある先生から(Hちゃんの状況はわかっているはずなのに)配慮のない扱われ方をしたのがきっかけで、チックがはじまった。別の女の子も不登校になってしまった。「先生は罪深いよ」とお母さんは言っていた。

チックは発達障害の二次障害で起きやすい症状だけど、そういえば、うちの息子の舌舐めずりは2年生の学級崩壊のときからはじまった。いまだにやめられない。リップクリームを持っていくのを忘れると、口のまわりを真っ赤にして帰ってくる。爪噛みも。私は彼が小学校に入ってから爪切りで爪をつんでやった記憶がない。

2年生のときのクラス。新任の若い女の先生だったんだけど、クラスは騒がしくて授業にならないし、給食のときはミカンを投げあったりしていたらしい。先生は耐えられなかったんだ。夏休み中に退職してしまった。
子どもだって罪深い。子どもたちの親だって罪深い。
言うことをきかない暴れ放題の子どもたちのなかで、途方にくれて立ちつくしている感じが、とても切なくて、フリーズちゃんって私はあだ名つけてたけど。
息子はフリーズちゃんを好きだった。そういえば、クラスがうるさいことについて、私の息子に「つらい思いをさせてしまっていて、申し訳ないです」と言ってくれたのは、フリーズちゃんだけだ。あれは心にしみた。

フリーズちゃんが、その後どうしているか知らなかったんだけど、こないだ街で見かけた。すれ違った後しばらくして、あ、フリーズちゃんだ、と気づいたんだけど。帰ってから検索してみたら、画像があって、とある会社のスタッフ紹介の写真だったけど、ちょっと胸がつまった。
学校をやめたあと、ハローワークに通ってなんとか見つけた仕事なんだろう、と思う。

元気でね。