可憐な冊子をいただいた。ノルドトモコさんの個人誌。「純度の高い……」というタイトル。
ありがとうございます。
何がありがとうございますって、
両吟歌集『クアドラプル プレイ』(蝦名泰洋✕野樹かずみ 書肆侃侃房)
蝦名泰洋歌集『ニューヨークの唇』(書肆侃侃房)
そして、このあと出版予定の蝦名泰洋詩集『王国を見にいくと言い残して』を紹介してもらっているのでした。
クラウドファンディングで偶然見つけてくれたそうです。
うれしいですね。『ニューヨークの唇』から
手をつなぐうべなうように道があるひびわれながらつづく大地に 蝦名泰洋
の歌を引いてもらっていて、この歌、蝦名さんがボツにしていたの、私がお願いして残してもらった歌。良かったじゃん、伝わる歌だよ、と蝦名さんに言いたい。
ついでに思い出すのが、この歌のほかにボツになった歌で、
ぼくたちのあたまのうえをからすゆくママの個性をわらうことなく
親のひとりとして、ちょっと救われたの。ママの個性をわらうことなく、の歌には。
冊子、そのほかには、画家の田中一村について。
東京都美術館で展覧会中。とても行きたい。30年以上前に、広島で展覧会があったときに見て、本物があまりに素晴らしかったので、画集を買う気にならなかったほど。
そのほかには、『小山さんノート』( 小山さんノートワークショップ編 エトセトラブックス)という本のこと。
ホームレスだった女性が遺した日記。その本、さっそく買って読んでいる次第。
上京すると、蝦名さんと上野で待ち合わせしたんだけど、もう十数年前かな、駅の階段に、長い時間すわりつづけている女の人がいて、汚れた服を着ぶくれてすわっているのが、お茶を飲んでいた店の窓から見えて、「ずっとすわっているね」と私が言うと、「いつもあの場所にいる」と蝦名さんが言った。「炊き出しがあるから、待っているんだと思うよ」。
別の日、その場所に女の人がいなかった。私、その場所にすわってみた。すこし臭いがあった。すわって菓子パンを食べた。モノ食べるにふさわしい場所でもなかったけど。
そういうことを思い出した。
天皇が上野の美術館に来られるので、テントを撤去するバイトに行った、という話を蝦名さんから聞いたことがあるのも、思い出した。そのときはテントの住人みずから、テントごといなくなっていて、仕事あんまりない。天皇の御幸が終わって、見に行ったら、テントもいつも通りに戻っていた。
小山さんが遺したノートを纏めた人たちの、小山さんへの共感に、共感する。痛みもあるが、癒しもある、と思う。
癒しは他人に言えないものだ
というフレーズが、どこかにあった、と探す。蝦名さんの詩のなかにあった。