きばらん海、ってさ。

11月も半ばになってる。何があったわけではないが、それなりに心を使いながら疲れながら、過ぎてゆきます。毎年10月はじめに咲く金木犀が、今年は2週間遅かった。そして、あっという間に散ってゆく。中学校のころ通学路沿いの家に咲いたのを、いつも思い出す。何かに誘われていく気持ち、いまはまだわからないけれど、いつか世界というものがわたしにもひらかれてゆくのだろうと、かたちのない憧れの、香りだ。
そして、ここにしか世界がないということ、この人生のほかに人生がないということを、なかなか苦く了解しながら、ここにいる。あの憧れはどこへ。

町内会の大掃除があるので、もうどうしようもなくジャングルになっていた庭と、ほぼ放棄している空地の畑の枝切り草刈りがんばったら、手足あちこち痣だらけになっていた。ずっと暑すぎて手入れする気にならなかった。
パソコンの画面もおかしくなっていて、たぶん10年ほども使っているから、買い換えたほうがいいよとパパが言うので、金ないよと悔しく思いながら買ったが、涼しくなったら、画面落ち着いて、もとどおり使えるではないか。暑さにやられただけだったのだろうか。私、ほんのすこしの変化がわりと大きなストレスなので、まだ古い方を使っている。

ハン・ガンのノーベル文学賞。夏に「別れを告げない」「少年が来る」読んだばかりだった。この作家、スベトラーナ・アレクシーエヴィチやトニ・モリスンのように、いつかノーベル賞とるかも、と思ったけど、まさか今年。うれしく思っていたら、次の日はノーベル平和賞が、被団協で、私も広島にいるので、かつて被爆体験を聞かせてもらった人たちの(多くは故人の)ことなど、思い出した。

学生のころのバイト先だった店は、もう何年も前になくなって、老夫婦は、次女さん一家が暮らすウルグアイへ行った。マスターさん、被爆しているけれど、そのことは絶対に話さないのよ、と奥さんは言っていた。でもウルグアイで、まわりの人に促されて、ごく小さな集まりで、話していた。3年くらい前、youtubeで見た。あの日お兄さんを亡くしたし、自分も死にかかっていたと、話しながら泣いて、泣いてしまうとわかっていたから話さなかったし、反核運動をやっている人たちとは政治的信条も違っていたから話さなかった、と言っていた。
見つけたとき、根掘り葉掘り聞きに行きたい気持ちになったけど、地球の裏側まで行けない。
どんなかたちでも、ひとつでも、被爆体験が残ったことはよかったのだろう。なんていうんだろう、樹の洞をさがす旅だったのかも。人生の終わりまでかかって、地球の裏側まで行って、はるかなふしぎな。
思い出して、SNSを久しぶりに辿ったら、奥さんの胸に遺影のマスターさんがいた。亡くなったんだな。たぶん去年くらいかな。 
生まれて初めてバイトした店。大学よりも長く通った。よくしてもらった。私もよく働いたけど。お世話になりました。
ゆきてかえらぬ。

11月はじめ頃は、息子の誕生日とパパの誕生日があるので、一緒にケーキでも食べようかと、鹿児島まで行って、ケーキだけは食べ忘れてきた。
たぶんそんなことだろうと思っていたとおりの、息子の部屋の惨状だったが。
枕崎で食べたカツオが感動的においしかった。開聞岳は形の美しい山だなあ。桜島でカンパチ丼と小みかんうどん食べたのも良き。

 

息子が学校行ってる間、天文館の図書館に行って、落ち着いて本読めたのがよかったな。それで。

息子に連れて行かれたのが閉店セールの古本屋で、1キロ200円の量り売り!
6600円分買った。本積み上げてゆくの楽しかったね。114冊とCD3枚。こんなめちゃくちゃなぜいたく、久しぶりかな。もうないかもな。
本を救ってくれて、ありがとうございます、とお礼言われた。こちらこそ。一期一会のあづさ書店。
すでに持ってる本も、処分されると思うと、まあ買ってしまって、息子の部屋に置いてきた。息子、自分では何を買えばいいかわからなかったらしい。お金もないしね、半世紀前の本とか謎だよね。

思えば本なんて、面白いか面白くないか読むまでわからないのだから、本を買うってギャンブルみたいなもんで、こんなに本が高くなっては、こわくて買えない。
学生の頃、たいていの本は古本屋で買ったのだ。いいかげんな値段がありがたかったし、卒論も、古本屋で偶然に出会った本からはじまったし、なんかそこは、人生の入り口だった。
そういう本屋が消えてゆくのは、さびしいな。
持って帰って、置き場が! ってなってる。

海が青くて空が広くて、気が晴れた。鹿児島は、人類の半分がまだ夏服だったが、戻ってきたら、朝夕さむい。秋ふかくなるころだよ。