冬景色 「なりくり」とか「ゆるさと」とか

気がつくとすごく寒くなっていて、ことしももう終わるって、何かにだまされたような気がする。時間の歩幅がざっくんざっくん巨獣のように大きくなり続けてる。平和、なのだろう。生活の綱渡りは、なかなか、なかなかなのだが。

九州の南のはしにいるはずの息子が、12月のはじめにいきなり、函館から写真送ってきた。旅したらしい。

飛行機で羽田乗り継ぎで青森に行き、連絡船で函館に渡った。上野発の夜行列車がないのが、とても残念だと、以前から言っていたが、津軽海峡冬景色の旅をしたかったらしい。函館では雪の舞うなか市電乗り尽くした。
一泊して早朝、朝市に行ったら、店のおじさんと目があったらしい。数日後我が家にカニが届いた。おいしくいただきましたが、あとで絶対生活費足りなくなるやつやん。お金ないので、年末年始帰省しないそうで。

次の夜は連絡船で寝て青森渡って、弘前に行って、今度廃線になるらしい大鰐線乗って、大鰐温泉入って、ストーブ列車は乗っていたら飛行機間に合わないのであきらめて、羽田乗り継ぎ無事、夜中にもどって、翌朝は授業。
息を切らせながら遊んでるよな。こんなにひとり旅の好きな子になると思わなかったけど。試験さえ落とさないでいてくれたら、いいです。

でもそういえば、息子と同じ齢のとき、私は韓国にひとり旅した。まだビザが必要だったころ。戒厳令が解除されて、まもなかったころ。下関から船で釜山。慶州、ハプチョン、ソウルとめぐって、1週間かな、ひとりで言葉もわかんないのに。知ってる人もいないのに。旅費のほかに2万円だけ持ってた。不安はなかったんだけど、別に。全然。本人はね。なりゆきまかせの旅が、嘘のように楽しかった。

それがいま、息子が冬に北の海を渡るというだけで、心配してるのが、ふしぎでしょうがない。息子は楽しかったらしいから、いいんだけど。

「小山さんノート」読んでいて、死んだホームレスの女性の手記、読んでいたら、「なりくり」という言葉が出てくる。小山さんの造語、のようだ。すごいなあ、と思って。なりゆき+やりくり。
月に〇万円しかないから、それでなんとかしましょう、というのが、やりくり。
小山さんの場合、今日100円拾えるなりゆきなら100円のやりくり、明日200円なら200円の、何も拾えないなりゆきなら、それはそれでのやりくり。身近な男の機嫌も毎日どうなるかわからないなりゆきのなかの、やりくり。切り離せないんだな、なりゆきとやりくり。
この小山さんの手記が焼かれる寸前で救い出されて、ノートを読む会ができて、本になったのは、小山さんがかわいそうだったからじゃなくて、小山さんノートに癒される、という体験をした人たちがいたからなのだということに、ふるえる。
たしかにそれは、癒される、という体験なのだと思う。えんえんと、ホームレス暮らしが綴られているだけなんだけど。ペンとノートのしでかすことは、とてもふしぎだ。

「なりくり」で思い出した。「ゆるさと」という言葉。もしもどこにもない言葉だったら、私の造語。昔、たぶん10年くらい前に書いた短歌。

 ふるさとをゆるさととまちがえて書いて、考えているゆるさとのこと  /野樹かずみ

たまにXを見ていて、発達障害関連の記事が流れてくると、そんなに他人事でもないというか、わりと自分ごとで、ちょっとたまんないなとおもいながら、悲鳴のような記事のあれこれたどっていたら、
ASD山脈」という言葉でてきて、人に干渉されるのに疲れ果てた感じ? ASD山脈つくって住みたい、とかいうことなんだけど、
ASD山脈に笑えて、涙が出るほど笑えて、ああ、自分の陣地があるといいなあというか、そういう気持ち。ゆるされている+ふるさと、があってほしいの気持ち。
が託された「ASD山脈」という言葉と思うんだけど。

思えば、ずっと、陣地なしで、塹壕もなくて、どこにいてもアウェーの感覚で、異邦をさまよってる感覚でいたと思う、私も。味方って敵になるんだーって思い知らされたりしながら。
でもいつからか、見えないけれど、ASD山脈を発見している、と思う。あっちの山にAくんがいて、こっちの山にもう死んだけれどBくんがいて、そっちの山にCさんがいる、そういう感覚を、私はこの世の心強さに、思ってるかもしれない。
同じ塹壕にいる家族かな、とか。

ゆるさとが、あればいいな。ゆるさとにいられればいいな。塹壕がある、程度でも。