30年めのパアララン

郵便代が値上がりするので! 10月から。
そのまえにニュースレターを発送しようと、準備。
現地からの写真とレポート(ああ、赤字の報告が、きっちり赤字で)、夏休みに訪問してくれた学生さんたちからの写真と感想、整理して、割り付けて。印刷して、折って、封筒に入れて糊づけして。切手貼って。

レティ先生が亡くなって3年、ゴミ山が閉鎖されて7年、途中でコロナによる休校もあった。変わったことと変わらないこと。いろいろ思いながら。

はじめてパヤタスのゴミ山を訪れたのが1994年7月だから、30年が過ぎたのだ。そこに、パアララン・パンタオという学校があった。

この写真は1999年頃の。手前の女の子は、前の年まで、子守しなければならない小さい妹を抱いてパアラランに通っていたけど、やめていた。10歳くらいになると、働き手なので、やめる子が多かった。パアラランがなければ読み書きできないまま大人になる。

たった昨日のことのように思えるんだけど、この写真から25年たったのだ。いまはここにゴミの山もないし、ゴミを拾う子どもたちの姿も見ない。戸籍のない子もいなくなったし、フィリピンの経済成長と教育改革目覚ましくて、子どもたちは公立のキンダーガーデン(幼稚園の年長クラス)に通える。国公立は大学まで無償化になって、望めば、わずかの奨学金があれば、大学までゆける。
(日本も無償化すべきと思うよ)

それでも、キンダーガーデンの一歩手前に、子どもたちがスラムの外に出てゆく一歩手前に、ステップがほしい、そのステップがとても重要なことを、経験的に知っていて、スタッフもあたりまえにパアラランを守る決意。

なので、私もがんばろう。

 

本、書いてよかったかも。昔のパアラランのこと、ゴミ山も消えて、レティ先生もいなくなって、ほかに記録は残っていないし、記憶はあやふやになるし。

以前は、パアラランに行ってもらったらわかる、ゴミ山もあるし、レティ先生もいるしと思っていたけれど、いまは、行ってもわからないこともあるのだ、ゴミ山もないし、レティ先生もいないし。パアラランの歴史も。

もう10年前の本だけど、たぶん、売れないで残っている。パアラランに関心のある人は、どうぞ。

来年で支援はじめて30年になる。30年。名簿に名前があると、ニュースレター送りつづけているんだけど、日ごろ、人間関係不義理しているから、近況報告のつもりもあったり。あまり深く考えてこなかったんだけど。

こんなに歳月が過ぎてはいろんなことが変わっている。亡くなった方もたくさん。

たくさんお礼を言いたいけれど、スポンサーでありつづけてほしいけど、負担になってもいけないし、忘れてもらってももちろんいいので、わりとそっけないほうがいいかなとか、思っていたり。

考えようによっては、過去の方角から、望まないのにやってくるゾンビレターかもしれない。一度支援したばっかりに、10年以上もやってくるニュースレター。

郵便代あがる。経費のことを考えると、例えば10年応答のないゾンビレターは、やめるべきかな。ああ、私のぜいたくな遊びだったんだけど。10年ぶりの応答もあったりするから悩ましいんだけど。

パアラランの友人でいてくださる、いてくださったみなさんに、喜びがありますように。

ニュースレター 2024年10月 - paaralangの日記 (hatenadiary.com)