恒例の、かどうかわかんないけど、青春18きっぷの旅。24日から26日。息子は、とあるコンサートと、あとは電車撮るとか。私はついていくだけ、そんで友だちに会う。きっぷ代は息子、宿代は私。移動と宿泊は一緒、あとは別行動。
息子と一緒の移動は楽なのだ。乗り換えとか、自分で考えなくていいから。ついていくだけ。電車でゆられる間、眠るか本読むか、ほかのことができないので、怠けていてもいいので、いい。大阪で別れて、あとで和歌山で待ち合わせ、って、和歌山で、私、息子待つほかにすることがないので、図書館で本読む。
あらわれた息子と、大津を目指す。宿は琵琶湖畔。難ありのお部屋は広いのに安い。ゆすり蛾が大量発生してるので、窓を開けないように言われる。ユスリカ、琵琶湖虫の別名あるらしい。
早朝、息子は出ていき、私はのろのろ出て、琵琶湖畔歩く。
山とか湖とかある土地で育つと、知らず知らず、山とか湖とか頼みにして育つと思う。山があるほうが東、だったり、山があるほうが北、だったり、と思って暮らしていて、東京で暮らしたとき360度山が見えない。東西南北なんにもわからなくなってしまうのが、たよりなくてこわかった。
スマホの位置情報ありがたく。しばらく前に、そういえば夢を見て、どこかの街にいて、スマホを失くしたばっかりに、帰る家がわからない、という夢。
友人と琵琶湖クルーズ。それから京都町歩き。楽しかったです。ありがとう。
夜、舞鶴泊なので、移動しようと京都駅に行ったら、雨で、舞鶴までいけませんっていう。京都のどこかにいる息子に連絡して、とりあえず落ち合うことにして、とりあえず、駅でごはん食べることにして、列車が走らないとは言っていないから、待つ、と息子が言うので、待った。私は4時頃に出て7時頃には着きたかった。息子は特急で6時半頃に出て8時頃着く、と言っていた。結局、9時頃になってようやく列車は動きはじめ、深夜0時近く、西舞鶴に着いた。
列車のなかで暇なので、本を読む。
くたびれすぎて、朝、起きられない。とりあえず、赤煉瓦倉庫ぐらいは見て帰ろうよと、東舞鶴へバスで向かうことに。交通カード使えず。運転手さんが、地元のお年寄りにお声がけするのが、やさしくて、ふるえた。そんなふうに生きることもできるのだ。そんなふうに生きることができるなら、生きるのってもうそれだけで十分じゃないか。と思うなど。
展示を丁寧に見る時間もなく、それでも海にたどり着いた喜びはあり、今度この港から船に乗ってみようと思う。
あとは、ひたすら帰る。がたんごとん。本を読む。
夜遅く、無事帰り着いた。
★
読んでいたのは『実存主義者のカフェにて』という本。サルトルとハイデッガーを中心に、ざっと80人ほど、もっとかな、登場する、哲学と伝記と出会いと別れの群像劇。凄い。たとえば、頭が80個くらいあるオロチが20世紀ヨーロッパで舞い狂っているという神楽を見ているような感動、ってなんかへんな形容だが。
実存主義なんて、泣くほどなつかしいけど。
二十歳の頃にボーヴォワールを『第二の性』や『娘時代』を夢中で読んだことなど思い出す。ヴェイユとかカミュとか、ボリス・ヴィアンの名前出て来ると、どきどきする。ヴィアンの『日々の泡』はたまんない小説だったな、とか。
サルトルの言葉だったのか、自己欺瞞、なんて言葉、忘れていたし。
何かにからめとられたり、何かを偽ったりして生きねばならないくらいなら、世の中から剥がれ落ちるほうが、全然まし、と思っていた二十歳のころの気持ちは覚えている。いったいどんな人生が可能なのか、見当もつかない、途方もない不安も、また。
あれから、実存主義という言葉も何もかも忘れて、
ここまで生きのびただけで、たいしたもんだよ、と思っている、かれこれ40年後の私だ。