夏の旅 帰省

台風情報を気にしている8月終わり。息子、ほんとうはもう、鹿児島に帰っているはずが、台風なので、まだ実家にいて怠けている。9月2日から講義はじまるらしいのだが。

12日から15日帰省。高速通らずにアップダウンのはげしい山道走る。大江健三郎の森を思い浮かべるのだが。高速がなかった昔、この四国の森を抜けて松山へ出るって、大変に思えた。谷間のなんにもないところに、たこ焼き屋さんあって、そこでたこ焼き買うのが、ささやかな楽しみ。

市内のホテルがとれなかったので、隣町の古民家改修のコワーキングスペース&宿泊施設に3泊。広い部屋でキッチンも自由に使えて、いつまでも寝ていてよくて、洗濯機に洗濯物つっこんだまま出かけていくのもゆるしてくれて、快適すぎた。ありがとうございます。

兄を誘って、四国カルストに行った。愛媛と高知の県境の山頂まで、息子がえんえん運転した。狭い山道で車の離合するの、わりとはらはらしましたが、(帰りはもうすこし広い道発見)地上34度が、山では24度で、涼しかった。牛を放牧していた。
四国カルスト、兄も私もはじめてで、そういえば昔、ここで牛を飼ってるという友だちがいたなあと、兄が言った。

 

人はたぶん、1年で一番たくさんいたんじゃないだろうか。山頂も地上も。昼ごはん、立ち寄る店立ち寄る店、食材切れてしまって、食事にありつけず。結局ファミレスに行ったのだが。

途中の四万十沿いの集落の小さいスーパーで、じゃこ天とまるずし、買った。田舎の年よりが日ごろ買っているお惣菜を売っている店のお惣菜は、あたり、と思っている。貧しくてもまずいものは食べないから。私、まるずし(おからの寿司)好き、まるずし食べたい、スーパーのお惣菜のまるずし、食べた。食べたかったのだ。昔ながらの。

そのあたりで見かけた愛媛の山の中の高知相互銀行の廃屋。ここが廃屋でなかったころの、町はどんなふうだったろう、などと思う。

 

夕方から松丸駅の2階の温泉で、ぼうっと過ごす。夜、花火大会。足もとの河原から上がるのが、火薬のにおいまでするのが、いい。いつまで走ってくれるかわからないけど、予土線走るおもちゃみたいな新幹線も、いい。

翌日は、海のほうへ。南海トラフの注意喚起のさなかなんだが。松山の道後温泉は3千件ほどのキャンセルというのだったが、田舎のほうは、帰省ばかりだろう。もしも地震で親族に何かあったらどうせ帰省しなければならないので、帰省とりやめの選択肢はなかったかな。紫電改の展示館、見に行く。父が亡くなる前に一緒に来たのが、何年前だったろう。機体の薄さにまた、驚く。

  

ここまで来たらついでに、外泊の石垣の里に行く。ずっと息子が運転する。前の日は山道くねくね。この日はリアス式海岸くねくね。

バスの終点がある、と途中で気づいた息子がそこへ行くっていう。なんとか網代って場所。リアス式海岸のどこか。海辺で舟の修理をしていたり。家の前で、涼んでいるおばあさん。
私の兄も叔父もそうなのだが、エアコンきらいである。きっともう、夏のどこかで死ぬんじゃないかと思うけど、きらいなものはきらいである。おばあさんも、エアコンきらいなひとりかもしれない。わざわざ暑い外に出て。海を見ていたいかしら。ひとりで玄関前にすわっている。

 

夕方の最終のバスを見送ったら気がすんだらしく、また海岸線をくねくね走って水荷浦のだんだん畑に。息子の運転、たのもしかったけど。

夜、宿の近くの酒場。親子でごはんがてら飲んだんですけど、二十歳の子が黒霧島ロックで飲んで、もつ鍋食べて、締めの麺投入の注文まで出している。きっと、あっというまにおじさんになっていくのだろう、と思う、など。

 

帰る前に、兄から、年金出たからって、借金の一部返してもらうが、その数日後には、また貸してくれの電話が来たりして。まったく、毎度毎度その理由たちが本当なのか嘘なのか、嘘だとしたら、よくそんなの思いつくなと思うようなことだから、本当かもしれないんだけど、たしかなことは金がないということで、返してもらったぶん、また送る。
いくらかでも貯金があるなら、やりくりできるようなことなのに、なんにもないと、こんなにいちいち生活が危機にさらされるんだなあ。

こちらもないから、まず青ざめますけど、やがておかしくて笑えてしまう。この兄が存在することの面白さは、小銭で買えるものではない。ゆるせない人も、もちろんいるんだろうけど。