傘。荒れ地の苺。

昨日の朝、療育で一緒だった1歳下の男の子のママで、なんと私が学生のころに家庭教師した女の子の、Mちゃんから電話。久しぶりだ。
30分後、やってきて、一緒にごはんを食べに行く。

息子は1年生になったのよね、と聞くと、私立の小学校に通わせている、という。お受験させたのだ、というのだった。それは噂に聞くいい学校だ。高校まで一貫教育。
「とんびがたか、だろ」って言う。いやいや、なんでまた、お受験。
「うちが勉強ができんかった。」それはよく知っている。
「学校に行ってわからんままでいるのはつらいだろう、と思って、幼稚園の年少さんから、すこしずつ教えてみたら、よく理解する。それでたまたま、塾があるという話を聞いて、行かせてみたら、そこでもよくできる。子どもがよくできると、まわりの親も、うちに対する態度が違う。うちの学歴なんか知らんやろ。おかしかった。」
そんなわけで、いまは朝4時に起きて、弁当つくって、子どもを駅まで送って、という、なんかとても感心なお母さんをしているのだった。

「うちは放ったらかされて育った。朝ごはんもなかったし、勉強を親にみてもらったこともない。家庭教師をつけられたころには、やる気もなかった。
もし、小さいころにきちんと手をかけてもらって、わからないところから丁寧に教えてもらっていたら、違う人生だったろうか、と子どもを見ていて思う。一番最初から丁寧に教えてもらっていたら、ねえ。」

いや、思い出すけど。押し入れに隠れたのをひきずりだして、ふとんにもぐったのをひきずりだして、机に向かわせるまでが、おおごとだったよ。何を教えろって。勉強いやで、半年でクビにしたくせに。
谷川俊太郎の「生きる」という詩を一緒に暗唱したというほかは、何ひとつ教えてないから、バイト料もらうのは後ろめたかったですけど、あんなに徹底的に勉強嫌いだった女の子が、クラスの一番ビリぐらいの成績だった女の子が、いま、勉強が好きで、魚釣りと虫の観察と星の観察が好きな男の子を育てている。

なんかなあ、愉快だ。
思い出したくない時代の、忌まわしい家庭教師の思い出の、後ろめたさのあれこれを、すっかり払拭してくれるくらい、愉快だ。



さて、夕方帰ってきた子どもは、間違って人の傘をもって帰っている。ただちに学校に返しに行く。間違えて持って帰られた子は、学校の傘を借りて帰った。「とても困ってたよ」とフリーズ先生が言ってくれる。
言われるまで、気づかないのだ、そんなこと。

自分の失敗で、ほかの人がどんなに迷惑するか、考えなさい、と子どもに言いながら、昔、私も言われたぞ、と思う。ちょうど小学校2年、同じころだ。
相手の立場に立って考えなさい。って、お母さんに言われました。

ああ、それがなあ、できないんだ。たぶんアスペルガーはそこが難しい。なんか、想像力の限界、みたいなところがあるんだ。
でもなんとかして、突破しないといけない、その限界。

いじめられたときに、通せんぼしてまもってくれた30番の男の子の傘をまちがって持って帰った、と知ったパパに、おまえは恩を仇で返すのか。ひどい奴だ、と、ののしられていた。

今日、ちゃんと謝ったそうです。それは私よりえらい。私は謝れない子どもだった。

で、いじめのほう。
「Gくんはガオーっておそってくるんだけど、Sくんがウーウーウーウーとサイレンを鳴らす。その間にぼくは逃げる。Gくんはあきらめて、近くの席の女の子に、ガオーってしにいって、やめてって、言われてる。」

なんか対応できそうだね。連絡帳には、気をつけて見ておきますって書き込みがあるし、フリーズ先生は凍ってないし。



荒れ地の畑は、苺が最盛期。毎日何十個もとれる。今日は100個以上あったんじゃないか。大きいのもあれば小さいのもあって、甘いのもすこしはあるが、かなりすっぱいのもある。世話してないから、てんで勝手に育ってるのだ。人にあげていいものか悩むが、子どもが何十個でも、あるだけ食べるところを見ると、食べる子は食べるだろう。Nさんちの3人の子が食べる、というので持っていったら、お菓子もらった。Img_1285_2 


そのほかに、グリンピース、にんにくの芽、ねぎ、パセリ、セロリ、レタス、ふき、収穫。