宇宙船地球号

土曜の運動会、たぶんすごく疲れたんだ。
10時頃まで寝ていた。親も子も。
土埃が鼻の奥、喉の奥、胸のあたりまでざらざらと残ってる感じがする。

福島や関東で、母親たちが運動会を危惧したのは当然だと思う。放射能汚染の心配がなくったって、あんな土埃のなかに一日じゅう、練習も含めたら毎日、子どもを晒すのはいやだけど、土が汚染されてるかもと想像したら、そんななかで運動会なんて、悪夢のようだ。
というようなことを思いながら、がらんとした来賓席に、来賓でも何でもないのにすわっていたんだが。居心地わるかったなあ。

近所の6年女子が、ソフトボールチームの子だけど、すごく生き生きして楽しそうなのが、印象的だった。来賓席からは、生徒席で低学年の子たちに声かけしているその子の表情がよく見えた。遠い保護者席のお母さんに見せてあげたかった。

運動会で、かがやく子も、いるんだなあ、と思った。



私は小中高の12年間、気持ちのいい秋の季節を、運動会で台無しにされたと思うほど、運動会がきらいな子どもだった。
でも、思い出はある。

子どものころ、2軒となりの家に一歳年上の女の子がいた。りえちゃん。
小学校何年のときかな、毎日つづく運動会の練習にうんざりしていたある日、合同練習のときかな、校庭の木陰で、彼女に会った。「運動会、はやく終わってほしいな」と私は言ったのかな。するとりえちゃんも「あんたもそう思う? 私もそう思う。勝っても負けてもいいから終わってほしいよ」って言った。いきなり心があたたかくなったのを、覚えてる。味方がいた、って思ったんだ。
団結、とか、最近なら、絆、という言葉がとびかう運動会で、運動会いや、と思う子どもは、裏切り者のように孤独になる。

高校生になったとき、一歳年上の彼女が、同じ学年の別のクラスにいた。中学のときの不登校で一年遅れたことはあとで知った。家もとうに引っ越していた。彼女のクラスとは運動会のときに同じ団になった。運動会前の、放課後の応援練習というものほど嫌だったものはない。3年生がやたらにいばる。こいつはやる気がないと思われると、休み時間に呼び出される。放課後の練習をさぼると、翌日、非国民のように責められるので、いやでも参加する。すると声がでてないとか、そんなことじゃ勝てないとか、またひとしきり怒鳴られる。
途方もなくゆううつな気持ちで、放課後体操服に着替えていた教室の窓から、学校の横の川縁の道を歩いて帰るりえちゃんの姿が見えた。
抜け出したんだ。
そのあとを、走っておいかけたいほど、羨ましかった。どうして抜け出すことができたのか。こんな集団のなかにいることは、りえちゃんは、私よりももっとつらいだろうと思って、気になっていたから、どんな理由で抜け出せたのかわからないけど、抜け出せてよかったと、思った。
彼女が抜け出せたことが、あのとき、私の救いだった。
あのとき、川縁の道を歩いたりえちゃんの姿を、ありありと思い出せる。

冬休みのあと、学校でりえちゃんの姿をみなくなった。
2年生になって名簿のなかにりえちゃんの名前が見つからなかったとき、悲しくてならなかった。心細かった。おいてきぼりにされた、と思った。
退学したのだ、ということは卒業前に、当時の担任に確認した。
その期の消息を、担任も知らなかった。同じクラスだった人たちも、誰も知らなかった。

私の子ども時代の忘れられない友だち。両親は赤ちゃんのときに事故で亡くなっていて、お婆さんと暮らしていた。
どこで、どんなふうに、生きているかしら。



運動会で、3年生の演目のタイトルは「宇宙船地球号」というのだった。BGMも、そういうタイトルなんだろうと思って探してみたが、見あたらない。だけど、宇宙船地球号って、こんなにいろんな曲があるのね。片っ端から聞いてみるが、どれもちがうが、なんだかどれも似て聞こえてきて、笑ってしまった。曲想が似てるんだ。そういうタイトルなら当然そうなるのかな。
見つからないと気にかかる。ちがうタイトルなのかもしれない。

子どもが断片的に記憶している歌詞はこう。

……一千万の悲しみを……この船の舵をとれ……
……きりんをのせて 象をのせて ……くじらものせて……
……ブラックホールをきりぬけて……すすむ地球号…
……みどりの山が削られて さんごの海が汚されて……
……でも この船を信じてる