メモ。『オリジンから考える』(鶴見俊輔 小田実)から ③

Ⅲ 哲学の効用 (鶴見俊輔

「私は、私なりの視野があって、そこには私ひとりしか立つことができません。そういう視野をもつ者から見ると、どうして普遍ということに達することができるでしょう。」「その人の繰り広げた宇宙論の体系は、その人ひとりにしか役に立たないものであって、それを聞いている人間にとっては滑稽な感じを与えることがあるでしょう。その滑稽によって、その人は、他人にも通じる道を拓くのです。つまり、そういうことが哲学の効用ではないかと、私は思います。」

「独裁主義はいつでも、権力が正義を独占するのです。しかしそれは嫌だ、危ない。とにかく嫌なんだ。」

(戦争で)「私は、自分の知る限り、誰も殺さないで終わった。だけど、哲学の問題としては、それは残る。」「結局、ずいぶん経ったあと、私は自分なりの回答を得たのです。それは、自分がなんとなく恐さに屈してそのゴアの黒人を殺したとした場合、そのあとどんなに遅れても、「私は人を殺した。人を殺すことは悪い」と、この二つを一息で言える人間になりたい。「私は人を殺した。人を殺すのは悪い」。これを一行で言う。それが、私の達した回答です。」

「私は、現在、モウロクのなかでも残る思想を信じています。」

「日本の学校教育は、基本的に間違った道を歩いていると思う。どこが間違っているかといえば、自分で問題を創って、自分で問題を解くということはいちばん根本のことなのですが、それを小学校一年に入ったときに、取り上げてしまうんだ。「問題をつくってごらんなさい」なんて言わない。小学校で言わないだけでなく、小学校、中学校、高等学校、大学でも言わない。それだけ長い間、暗渠に入れられてしまったら、自分で考える力はなくなってしまう。」

「私の日本史の理解でいうと一九〇五年以降ですが、日本ほど鮮やかに、国民単位で完全な宙返りをやった国民は、世界的にないということです。」「国民単位での宙返り。つまるところ、日本の知識人も国民という単位の中にあるのです。国民と知識人とのあいだに切れ目はない。国民が全体として宙返りをしたのです。国家・政府、陸軍だけに宙返りの責任を負わせることはできません。」

「戦後、マッカーサーが入ってきたのですが、マッカーサーも日本にヒビを入れることはできなかった。一九〇五年からの国民単位の流れに。なぜ、一九〇五年にこだわるかというと、あのときに初めて、国民による大きな抗議運動が起こったのです。「日比谷焼き討ち」ですね。交番──政府の手先──を焼き討ちして、政府の処置に抗議した事件です。抗議の趣旨は何か。「もっと戦争をやれ」ということです。あれが、「国民」の誕生なのです。」

「そうした宙返りをする性格の国民をバックにして、われわれは何かをやってきた。新聞だって売れなきゃ困るから、国民をバックにしますよ。しかしそこに問題があるということです。そうした状況のなかで、たとえ自分ひとりであっても、個人として考え行動することはいかにしたら可能になるのか。」

「今進むべき道を見いだすことができていない、そのもっとも大きな障害は大東亜戦争というものをきちんと記憶にとどめていないことだと思います。」

「今の状況について、私は司馬遼太郎という人は鋭い勘をもっていたと思います。彼は存命のときに、『坂の上の雲』の映像化を再三断っているでしょう。この作品を映画にして日本の中に投げ入れたらどうなるかということを、実に性格に把握していたと思う。」「自分は日露戦争の終わりまでで筆をとどめる。日露戦争の終わりから違う日本になったという考えですよ。」

「こうした現在の状況の根底には、ある共同幻想が眠っていると思います。それは「日本は大国である」という共同幻想ですね。」

「では、明治以来の大国主義から離れることはできるのか。わからないが、私は、離れるべきだと思う。」

「明治末に至って、つくりあげた落とし穴だった大逆事件がただされることなく新しい弾圧の時代をつくり、昭和に入って、軍国主義に押し切られて敗北に至った。
 そうした成りゆきの分析をしないまま、米国従属の六十五年を超える統一は続いていて、地震津波・原子炉損傷の災害に見舞われた。」

「軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の「敗北力」が、六十五年の空白を置いて問われている。」

「言葉にさえならない身ぶりを通してお互いのあいだにあらわれる世界。それはかつて米国が滅ぼしたハワイ王朝の文化。太平洋に点在する島々が数千年来、国家をつくらないでお互いの必要を弁じる交易の世界である。文字文化・技術文化はこの伝統を、脱ぎ捨てるだけの文化として見ることを選ぶのか。もともと地震津波にさらされている条件から離れることのない日本に原子炉は必要か。退行を許さない文明とは、果たしてなにか。」

「人間はみずからを文明の進歩にゆだねる値打ちがあるか? 退行を許さない進歩ひとすじの文明は、人間にとって何か? そうした問題は私たちの目の前にあります。日露戦争以来、大国になったつもりで、文明の進歩をひたすら信じ続けてきた日本国民は、日米戦争の敗北にさえも目をそらしてきた根本の問題に、今、直面しています。」