むかーし、
「おまえのせいでおれが苦しい」という男に、
「自分の不幸を他人のせいにするのは正しくないよ」って言ったら、
ものすごく怒らせた。
なんで怒るのかわかんなくて、人に相談したら、
「一緒に暮らしてるんだから、しょうがないよ」って言われた。
ひとと一緒に暮らすっていうのはそういうルールになるのか、と思って、
でもそれなら、
おんなじように、
「わたしの苦しいのはあんたのせいだ」って私も言っていいのね、と思って、
言ったら、
もうとほうもなく怒らせた。
自分がしたと同じことをされて、おなじことを言われて、どうして怒るのかわかんないが、
「憎しみがとまらなくて苦しい」と男が言うので、
それでそういう場合は、
別れるしかないそうなので、
別れたのでしたが。
というようなことを、思い出して、ひとりで笑ってしまった。
ああ、笑い話になるときがくるんだなあ。
☆
それで、なんでそんなことを思い出したかって、
朝鮮日報のコラム、読んだからでしたが、
【コラム】日本は韓国にこんなことをする資格はない
日本は韓国の領土・言語・文化を抹殺…国土分断も日本のせい
日本の経済回復は韓国戦争のおかげ
国粋主義的ブームで世界を怒らせ、他国の傷をえぐる異様な国に
名誉を最も重要視した日本はもはや存在しない
・・・・・
率直に言って、こんなに何もかも他人のせいにしていては、だめだと思う。
ほんとに率直に言って、こういう理屈って、独立国として恥ずかしいと思わないのかな、と不思議だ。
「反日」はだめだと思う。「反」は「依存」の一形態だと思う。
「日本のせい」「日本が悪い」っていうのって、
わたしの面倒をみて、ってきこえる。わたしが気に入るようにしてくれなきゃいやだ、って聞こえる。
無理と思う。
日本が悪いのはわかりきってる。国家というのは多かれ少なかれいかれてる。だから、どの国の国民もそれなりに苦しむ。
だけど、よその国に対して、何を言ってるんだろうって思う。
世の中は不条理だらけなのに、他国が、自分の思うようにうごくはずがない。
たとえば。
「慰安婦問題だけを見ても、日本が過去の過ちに対する最低限の責任を果たしてさえいれば、韓国も「自分たちが守れなかった韓民族の痛みをわれわれの手で責任を取ろう」という議論を発展させていたはずだ。しかし、安倍首相をはじめとする日本のナショナリストたちが、そのチャンスをむしろ政治的に悪用することで、今後韓国と日本の関係は行き着くところまで行くしかなくなった。」
とあるけど、なにも日本が責任を果たすのを待たなくても、「自分たちが守れなかった韓民族の痛みをわれわれの手で責任を取ろう」という議論を発展させていいと思うよ。
そうすれば、「反日」のために、慰安婦問題を政治利用しているのではなくて、普遍的な女性の人権の問題として取り組んでいるのだと、思ってもらえるのではないかと思う。
たぶん、「行き着くところまで行くしかなくなった」関係は、人間関係なら別れるよりしょうがない。
それで、別れたあとには、せめて恨みをひきずらない努力をする。
ひととひとの関係については、今世、生きてる間、修復は無理だし望まないし、知らないところで生きて死んでください、と思いますけど、
でも、国と国の関係は、構成員も多様だし、かわっていくので、どのようにも変化してゆけると思うので、いつでも希望はあると思いますけど。
ああ、このコラムは、情けないなあ。
悲しくなってきた。
☆
それで。
話もどすと、男をかえても、やっぱり言うのよね。
おまえのせいで、どうとかこうとか。
ああ、女も言うね。あの人のせいで、ああだこうだ。
「行き着くところまで行く」とまためんどくさいだろうなあ、と、さすがにすこしは学習したので、
私のせいなのも、それはまあ、ある程度しょうがない、と思って、ふわふわやりすごして、さしあたり平和に暮らしている。
すると、たまには言うのよね、「あんたのおかげで」って。
おんなじ、ろくでなしの私がそこにいるだけですけどね。
それで思うのは、
「みんなビンボーが悪いんや」ってことでした。