夏の日の午過ぎ時刻

汽車が津和野に着くと、先に車で行った義父さんが待っていた。
おじいちゃんは孫に、津和野で紙すきを見せようと思ったのだった。
で、紙すき実演をしているはずの店に行くが、やっていない。それでも声をかけると、わざわざ職人さん出てきて、一枚だけ、紙をすいて見せてくれた。子ども、見ていた。
それから、やぶさめの馬場にも連れていってくれるが、やぶさめ、が何かわかんないな。
それから、いつものように、鯉に餌をやりに行く。思えばまだ、1歳2歳の頃から、変わらぬ楽しみではあるんだなあ。私も楽しい。子どもに食パンわけてもらって、鯉に餌やる。

夕方、中也記念館に行く。ここはしずかでいい。
なつかしい詩を見かける。いちばん最初に覚えた中也の詩。
私の偏愛の詩。



   少年時  

黝い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。

翔びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過ぎ時刻
誰彼の午睡するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫、生きてゐた、私は生きてゐた!