いつのまに

  7日、子どもの3歳児検診に行く。小さい赤ちゃんたちがたくさんいて、ほんのちょっとまえまで、自分も赤ちゃんを抱いていたのだと思うと、不思議なようだった。今つれているのはすでに赤ちゃんではない。検診のついでに栄養指導も受ける。この部屋で栄養指導を受けるのももう最後かもしれない。ごはんをあまり食べないのはジュースを飲むせいもある、ジュースをやめましょう、と言われたので、はい、そうします、と答えたら、子どもも「はい、そうします」と真似ていうのがおかしい。
 翌朝、ジュース飲む、と泣く(これがうるさいので、つい飲ませていたのだ)が、「病院でお姉さんに、はい、そうしますって、リクちゃん言ったよ」と言ったら、それでも泣くが、「リクちゃんが言ったんだよ」と重ねて言うと、やがて泣きやんで、なんとなくものわかりよくあきらめていた。感心なことに、それまでのように冷蔵庫から自分でジュースを出すこともしない。そうして、たしかに、ご飯を食べる量が増えた。
 
 8日、市内に下りたついでに、古くからの知人の老夫婦のところに寄る。めずらしく上の娘が来ていて、幼馴染だが、会うのは、彼女が今高校2年の2番目の男の子を生んだとき以来だ。会ってみると、そんなに長い間会ってないという気もしなかったけれど、彼女に「おばちゃん(私の死んだ母)に似てきたね」と言われて、ずっと父似だと思っていたので意外だった。「とくに背中が似ている」って、自分では背中は見えないから、子どものころに見た母の背中を思い出してみたりする。いつのまに私たち、あのころの親たちの年齢になってしまって。
 県内だが他の町に住む娘が来ていたには理由があって、おばさんの癌が再発して、治療の数日間だけらしいけれど、また入院するからだった。おばさんはもう何度も深刻な病気で死にかけては生き返ってきているせいか、いつもと変わりなく、ほがらかで、私の子どもといっしょに歌を歌って大笑いしている。それでもたしかに体は自由がきかなくなっている。たんすの片付けも大変そうで、不要の衣類を処分したいというので、手伝って、まとめてビニールにいれてもって帰る。着る、売る、捨てる、の仕分けはおいおいやろう。
 幼稚園のころから知っている一家だけれど、あらためて見てみると、おじさんもおばさんも、ほんとうにずいぶん年をとった。私が知る限りでも、いろいろと大変なことも多かった人生の、ようやく落ち着いた晩年の穏やかな暮らしを、親に似ず(とおじさんが言う)いたって優秀らしい孫たちの成長を楽しみながら、もうしばらくゆっくり、生きてくれるといいと思う。私の子どもは、この家にいつもおいてあるおせんべいが、大好きだ。
 
 生老病死にくらくらさせられるような数日。そういうものが目に入るような年齢になったということではあるのだろうが。
 
 文科省は、履修逃れを4年前には把握していた、というニュース。やりきれなさが募る。先生のご冥福をお祈りします。