誰がこの階段を

 その詩を、なんの本で読んだのだろう。学生のころに読んだのだが。ノートに書き抜いているので、それからあとも忘れずにいる。ある時期、とても好きな詩だった。なにかしら切実だった。森川義信の「勾配」という詩。
 その詩のことを思い出したのは、長田弘の『知恵の悲しみの時代』という今読んでいる本に、森川義信という名前が出てきたからだった。その詩人のことを、私はなんにも知らずにいた。1942年にビルマ戦線で、24歳で戦病死したのだということも。鮎川信夫の詩「死んだ男」と「アメリカ」に歌われたM、だということも。
 
    勾配   森川義信
 
非望のきはみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向って
誰がこの階段をおりていつたか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるやうに非風はつんざき
季節はすでに終りであつた
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆえにここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまつてゐるのだ