ピンクの傘

 昨日も雨。平和公園でボランティア関連の催しがあって、フィリピンの植林をしている知人のグループのブースもあるというので、顔出しに行く。写真展示とラタン製品の即売。ラタンの籠は全部売れたそうでよかった。
 雨の平和公園を、子どもははじめて自分で傘をさして歩く。従姉のおさがりのピンクのキティちゃんの傘。長靴をはかせるのを忘れた。水たまりにつっこんでいくので、たちまち靴も靴下もびしょびしょ。しゃがんで濡れた落ち葉にさわりたがったり。それでもピンクの傘は、なんとなく気持ちが華やいだ。傘は子どもの体にはまだまだ大きくて、後ろから見ると、傘が歩いているようだ。いま見ている子どもの姿をきっと忘れないだろうな、と思った。
 
 知人の老夫婦のところに寄る。おばさんは退院していて、先日尋ねたときよりは調子よさそうだったけれど、また来月あたり入院することになるようだ。「カテーテルとしか医者は言わないけど、副作用がたいへんね、と看護師が言うから、抗癌剤だと思う」と言う。闘病、という日常もあるのだ。
 おじさんは昔、宇和島市立病院で警備の仕事をしていた。腎臓移植でニュースになっているM医師の噂話などきく。10年以上も昔だけれど、東北の方からも患者さんがきていたそうだ。「あの男は、アメリカに行くときも、ふだんと同じ、素足にスリッパ履きやったというぞ、常識の通用する男やないぞ」というおじさんの人物評が、なんだか楽しい。
 それから定年間際になって、女にだまされて、やくざに恫喝されてうろたえていたという私の出身校の校長の話。「東大出らしいが、その年になって女に騙されるというのは、教師は世間知らずなんやろうな」と言う。なんでも、おじさんの友だちが、やくざと話をつけてやって、事なきを得たというのだ。
 そんな話の合間にふと、「いつのまにか年とって、気がつけば明日の命も知れん」とぼそっという。夫婦ともそろそろ80歳である。
 
 思えば、世の中というのは、この人たちのことだったのだ。子どもの私にとって、大人だった人たち、世の中は、その大人たちがつくっている世界で、それはとてもかたくななものに思えていた。だから反抗もしなければならなかったし、そこから出ていかなければならなかったりしたのに、確固としてありつづけるようだった世の中が、消えてゆこうとしている。そのたよりなさが、なんだかたまらない。
 
死はそこに抗(あらが)ひがたく立つゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ  (上田三四二)