詩集『朽ちた林檎』を探しています

広島総合文化情報誌「地平線」。
という雑誌をいただいた。50号。最終刊らしい。原爆、空襲、水の文化史、峠三吉などなど。フィールドワークの記録のあれこれが、異様になまなましく迫ってきて、たじろいだ。
このなまなましさは、3・11のせいだと思う。
きっと、3・11が明らかにしたのは、国土の破壊も、酷たらしい死も、被爆の無惨も、貧困も病も、差別も、あれこれのつらい景色も、戦争の記憶と一緒に葬り去ったつもりの過去も、人間の愚かさも、なんにも過去ではないのだ、ということだ。

先日読んだ「ヒロシマナガサキを考える会」に載っていた被爆体験も、そんなもの聞き飽きたし読み飽きたと、斜にかまえていてさえ、たえがたいなまなましさに、泣きながら読んだばかりなのだが。

さて「地平線」50号に、送ってくださった歌人の切明千枝子さんが、
「詩集『朽ちた林檎』を探しています」という文章を寄せている。

むかしむかし、広島に今井草二という詩人がいて、昭和2年に『朽ちた林檎』という詩集を出した。切明さんはその詩集を少女時代に、お母様から「大切な本」だと渡された。ずっと後になって、詩人とお母様の間にみのらなかったロマンスがあったと知った。『朽ちた林檎』はみのらなかったロマンスの形見なのだが、その詩集、原爆で焼けてしまった。
本を探しているのだが、遺族もお持ちでなく、国会図書館にもないし、どこにも見つからない。
どなたか、持っていらっしゃったら、あるいは本の消息をご存じなら、教えてください。

詩人、今井草二も原爆で亡くなったらしい。遺稿集『新芽と光と空』から詩がひかれている。
 
  「灯ともし頃を愛す」

 つかれはてたる心の ふかき吐息
 今宵も 一つのなぐさみを
 毛糸人形に寄する。
 灯ともし頃となれば かなしき影を
 うすく 青磁色の壁に うつして
 
 かなしや それは彼の人の手すべごと。


叙情詩のなかにまぎれこんだ静かな反戦詩のような一編。


  「白衣還る」
 
 航海に疲れた御用船は
 この朝の快晴に
 重いどす暗い巨体で黙ってゐる

 はるかどす暗い巨体から
 白い病院船が 動かない海を岸へ
 空は明るくまぶしい

 部長閣下の慰問に 傷病兵は一人一人
 青白い顔をすじのない挙手で答へる

 抑え切れぬ憂鬱を
 白い傷病服に包んで
 にぶい足取で上陸をはじめる

 なまぐさい歴史 出迎の顔 顔
 顔の中を 傷兵ら 動かない瞳であゆむ
 
 あはれ 両眼をうばはれた兵士の
 なれきらぬ歩行に出迎の顔は歪んでいる

 担架で運ばれる兵士は
 観念の眼をとじて
 明澄な朝日は あまりに射しすぎる

 いきりたつ出征の日も 宇品の港であった
 今朝は あまりに 痛々しい靴音である

 酷暑せめてもの慰めともならば
 このアカシヤの葉影に
 傷病兵よ 涼をとらずや

 あゝ 感激の 心からなる声は
 胸にふさがり
 白衣のかなしき 帰還を
 黙々と迎へる