週末、大阪のほうに行ってた。
お世話になりましたみなさま、ありがとう。
雨のなか、バスの窓から見える新緑がきれいだった。
大阪城を見下ろすビルの26階にいたあとに、西成の安宿にもぐりこむと、その格差が、新鮮だった。部屋がくさいのと、電車の音のうるさいのに眠れずにいて、この程度で眠れないなんて、私も堕落したな、と思った。でもそれも朝までには平気になった。
雨の朝、見知らない町の、汚れた路地裏あたりをほっついていると、人生の本来の心細さの場所に立つみたい。
たぶん、ときどきそういう場所に立ったほうがいい。そういう場所に、自分はいたんだということを、私はときどき思い出したほうがいい。
どんな土地もよそよそしく、いてはいけない場所のようだったこと。
それでも、こんなふうな心細さが、懐かしさや慕わしさに、一瞬に裏返る、ということも、人生にはあったりする。
ゴミの山へつづく坂道を降りていった、遠い雨の朝。
帰りは夜行バス。夜行バスはわりと好き。その間だけは、荷物の一個のように自分を座席に放り出していていい、という感じがして。ひたすら眠る。
帰ってきたら、畑の苗がまた枯れている。霜でもきたかしら。
桜は散ったし、気づけば4月も終わりなのに、まださむい。
お世話になりましたみなさま、ありがとう。
雨のなか、バスの窓から見える新緑がきれいだった。
大阪城を見下ろすビルの26階にいたあとに、西成の安宿にもぐりこむと、その格差が、新鮮だった。部屋がくさいのと、電車の音のうるさいのに眠れずにいて、この程度で眠れないなんて、私も堕落したな、と思った。でもそれも朝までには平気になった。
雨の朝、見知らない町の、汚れた路地裏あたりをほっついていると、人生の本来の心細さの場所に立つみたい。
たぶん、ときどきそういう場所に立ったほうがいい。そういう場所に、自分はいたんだということを、私はときどき思い出したほうがいい。
どんな土地もよそよそしく、いてはいけない場所のようだったこと。
それでも、こんなふうな心細さが、懐かしさや慕わしさに、一瞬に裏返る、ということも、人生にはあったりする。
ゴミの山へつづく坂道を降りていった、遠い雨の朝。
帰りは夜行バス。夜行バスはわりと好き。その間だけは、荷物の一個のように自分を座席に放り出していていい、という感じがして。ひたすら眠る。
帰ってきたら、畑の苗がまた枯れている。霜でもきたかしら。
桜は散ったし、気づけば4月も終わりなのに、まださむい。