漢字の宇宙

 学生の頃、中国語学の講義に「説文解字」というのがあった。漢字だけの文献のコピーを渡されて、それを読んでいくというものだったが、「告」という字は牛が口をうごかすことによる、というふうに、文字の成り立ちについて書いてあるようだった。あとは眠かった記憶しかなく、教授の名前も顔も思い出せない。講義には出なくなっていた頃だから、その講義も何度か行って、行かなくなったのではないだろうか。
 ずっと後になって、白川静氏の本を読んだときに、はじめて、あの退屈な講義が何だったかを理解した。「説文解字」は後漢時代の字書だったのだ。
 
 白川静氏、10月30日に逝去。96歳。中国の古代文字を研究し、漢字の字源、意味、用例について、『字統』『字訓』『字通』の3冊の字書を著した。「設文解字」以来、1900年ぶりに正された誤りも多く、歴史的な仕事をした人だ。またひとり、ほんとうの人がいなくなった。
 
 白川漢字学によると、たとえば「言」「善」などの「口」は、いわゆる口ではなく、祝詞を入れる器をかたどったもの。「言」は器の上に辛(針)を置き、間違っていたら刑罰を受けるとの誓いの言葉、「善」は善悪を判別する裁判の様子をかたどる。「告」も、牛がしゃべるのではなくて、祝詞の器の上に、小枝を置いたかたちなのだ。「眞」が行き倒れをかたどるというのにも驚いた。そこから思想が展開され、「真実」「永遠」の意味になる。また行き倒れだから「瞋(いか)」るし、それを「鎮(しず)」めるというふうに、文字は連関し存在の秩序を表現する。『字統』しかもっていないが、『字統』にはそういうことが書かれていて、とても楽しい字書だ。
 
 文字は、そもそも神聖王権において、神との交信のために生まれたという。氏が書いていたことで、とても印象的だったのは、数万点の甲骨文字の資料を手写しつづけるなかで、文字は自らの素性と同時に「体系」を明らかにしてきたということ。部分だけわかるということはなく、わかる時には全体がわかるのだと。
 白川漢字学の魅力は何よりもその世界観。「説文解字」の退屈も、1900年前の中国の字書より白川漢字学のほうが正しいと判断する根拠も、その世界観によるのだと思う。
 
 漢字の宇宙。