「泣きながら生きて」

 中国人留学生の姿を追ったドキュメンタリーシリーズの最終回、「泣きながら生きて」を見た。
 圧倒的だった。青春期を文化大革命で学ぶことができず、人生をやりなおすために、家族をおいて、借金をして、日本語学校に入学したのに、はからずも不法滞在者になり、それでも今度は娘を留学させるために、東京でひとりで15年間も働きつづけた丁さんと、上海に残された妻、ニューヨークの大学に進学した娘の、離れ離れの家族の、愛情の深さに圧倒された。娘が医者になり、丁さんも帰国することになり、それだから放映することができたのだろうが、15年間、帰国もできず、家族にも会えず(ニューヨークへ向かう途中の娘と妻にそれぞれ一度会えただけで)異国の街でひとりで働きつづけたことの凄さ。
 文化大革命の中国も、彼を留学生として受け入れた日本も、けっして彼にやさしくなかったと思うのだが、思い通りにならない人生を、けれども、愚痴も不満も言わずに生き抜いて、最後に、以前は、人生は悲しく人間は弱いものと思っていたが、今は、人生は捨てたものじゃないと思う、と言って感謝して去っていくのがとても印象的だった。その心の強さが。国境を越えて、長い歳月を、泣きながら生きても、手に入れる価値のあるものは、この心なんだと思った。
 
 小学校1年か2年のとき、母が私に言ったことを、いきなり思い出した。「ひとの悪口と陰口は絶対にいけない。つげ口もいけない。言わなきゃいけないことは、その本人に向かっていいなさい」。とても真剣な顔をして言ったのだ。中学生になると、女の子たちの話は、他人の噂話、悪口陰口で、その噂話の仲間になるか、友だちがなくてもいいか、考えたとき、友だちはいなくていいと、思ったのは、母の言葉が心に残っていたからだった。
 母はけっして愚痴を言わない人だったけれど、それはとても大切なことだったのだと、丁さんの姿を見てあらためて思った。人の悪口や生活の愚痴を言い出したら、きっと人間の内面はぼろぼろに壊れはじめるだろう。そうなったら、どんな人生も、不幸でしかないだろう。
 
 大家さんの2階の古い小さなアパートの様子が、なつかしかった。ずっとそういうところで私も暮らしていたのだ。学生の頃も、卒業後も、その後、東京にいた頃も。かれこれ20年ちかく。風呂がないので、流しで頭を洗ったりしていたし。もう10数年前だけど、隣の部屋にいた中国人留学生の周さんは、今ごろどうしているだろう。周さんが隣の部屋に引っ越してきたとき、挨拶がわりに1枚のハンカチをくれたときのことを、今も覚えているし、そのハンカチはまだ使わずにもっている。ちょうど私の部屋にねずみが出ていた頃で、ねずみにかじられた石鹸がたくさんあったので、半分こしたら、それから彼は私のことを「ねずみさん」と呼ぶんだった。ときどきすいとんのようなものをつくって、一緒に食べた。経済学の本のコピーを山と抱えてきて、日本語が難しいので教えてほしいと頼まれて、けれど経済学の話なんか読んでも全然理解できなくて、ふたりして泣きそうな気持ちになった。
 丁さんの映像を見ながら、夜中にアルバイトから帰ってくるときの、周さんの足音を思い出した。私の部屋に電気がついていると、「ねずみさん」と声をかけてくれて、アルバイト先でもらった弁当をわけてくれたりした。