先生のいた教室

 気がつくと、高校1年のころのことを、ぼんやり思い出したりしている。たいした進学校でもなかったし、市外の田舎のほう、海や山のほうから来ていた生徒も多くて、素朴だった。なんていうか、山や海やみかんや魚の匂いがするようだった。いちおう選抜クラスだったけど(2クラスあったうちの、成績の悪いほう)、受験なんてまだ頭の片隅にもないようなのんきな生徒らに、先生は、えらく難しい国語(現代文)の問題集をくれて、それでもって定期テストとは別に、学期ごとの実力試験の問題は、その問題集から出題されるんだった。擬古文や旧かなづかいもふんだんにある本に面食らったが、でもその問題集の文章に、私は魅了された。
 
 もしかしたら押し入れのどこか、あるいは実家にあるかもしれないが、あの問題集は、いろんな扉を開けてくれた。最初に読んだ三島由紀夫の小説は、その問題集のなかにあった「詩を書く少年」だった。あとで図書館の全集でさがして全文を読んだ。「煙草」というのも、読んだ。言葉が、心に触れてくることの、ぞくぞくする快感。読んだだけで足りなくて、2つの短編を全文、ノートに書き写した。なんといっても田舎のことで、当時はまだコピー機なんて、子どもの手の届くところになかったのだ。おかげで、ずいぶん難しい漢字を覚えた。
 
 なんでもないことを、思い出す。どうしてこんなに覚えているんだろうと思うほど。その光景のところどころに、担任はいて、思えば今の私よりずっと若かったのだが、なんだか飄々としていた。情熱のある教師なんてそぶりは全然見せず、軽口をとばしていたけれど、授業は楽しかった。生徒への目配りの仕方も、繊細でやさしい人だったと思う。15歳だった私が、自分の中に向かって何かを探しはじめたころに、さりげない肯定感が傍らにあったように感じるのは、あの飄々とした先生のおかげだった。そして、そう思う次の瞬間に、先生が自殺したということに、思い至って、なんだかわけがわからなくなる。あの教室にいた先生と、自殺した校長、との間が、埋まらないのだ。
 
 いつか先生に報告しようと思っていたことが、たくさんある。自分がもうすこし大人になったら、きちんと言葉を見つけることができるかもしれないと、ずっと思っていた。でもほんとうは、言葉なんかなくてよかったのに。どうして間に合わなくなってしまうんだろう。
 
 学校の図書新聞だったか、何かの冊子だったか、先生は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」について書いていた。内容をもう思い出せないが、最後の文章は、こんなふうだった。
 
 ──(銀河鉄道の旅のような)そんな旅ならぼくもしてみたい。