息切れ

 「かさ」と小さく叫んで子どもは走り出した。夕方の運動公園で、もう帰ろうとしていたころに、帰り道とは反対側に走っていく。何なのかわからないまま、あとをついていって、ようやく、「かさ」というのは、ベンチの上の屋根のかたちが傘のように見えるのを言っているのだとわかる。さて、その「かさ」だが、広い運動公園の隅に3箇所あって、ひとつは急な斜面の上にある。子どもはその斜面の上の「かさ」を目指して走り出したわけだ。
 かんべんしてほしい、と思う。結構な距離なのだ。でもたぶん、その距離は、子どもには見えていない。見えているのは、赤や青に塗られたあの「かさ」だけ。
 ほんとうは、そんなふうに生きたい、と子どもの後を追いながら、思った。道のはるかさなど考えず、そのために足をすくませたりせず、かすかに見えている美しいものを、ひたすらに追っていけるといい。 
 子どもは、さすがに斜面の階段の途中で息がきれたらしく、立ち止まるが、それでも一歩ずつ階段をのぼって、ついにたどりついた。「かさ」と満足そうな顔で、ベンチにすわって、足をぶらぶらさせている。斜面には、季節はずれのレンギョウが咲いていた。
 すこし休むとまた元気がでたらしく、走り出す。道のないほうに向かって走る。呼び止めても振り向きもしない。追いかけてつかまえて、階段もない急な斜面を、子どもを抱えて走り降りる。ああ、まったく息が切れる。
 
 それから買い物に行ったのだが、最近子どもは、目にとまったものを、勝手にあれこれ籠のなかに入れる。でもみかんは家にあるし、そんな立派な値段の刺身は食べません、戻しに行くと、泣く。気にいらないと、その場にすわりこんで動かなくなる。かまっていられないので放っておいたら、ごろんとその場で寝ころんでいる。つくづく面倒である。
 
 毎日の散歩と買い物で、1日分の体力を使い果たしている気のするこの頃。1日の終りがまた手ごわくて、歯磨きするよ、というと、布団の上をころげまわって逃げる。「おねがいです、たすけてください。おねがいです、たすけてくださいよう。」と芝居っけたっぷりに泣きそうな声で言う。
 歯ブラシはアンパンマンの絵だ。ちびさん、アンパンマンがたすけてくれるから口あけなさい。
 はみがきすんだら、おねがいです、さっさとねてください。