飛行機雲

 区役所に印鑑証明をもらいに行って、天気がいいので、帰りに運動公園に遊びに行った。すべり台とぶらんこのほかは、遊具もないので、すべり台とぶらんこをする。
 子どもは、体はそんなに大きくなっていないのだが(1歳や2歳の子とあまり変わらない背丈だ)、それなりに成長はしているようで、こないだまですわるのがせいいっぱいだったぶらんこが、すこしだけど漕げるようになっていて、それが楽しいらしい。
 「ママも」と言われて並んですわって漕いでみるが、たちまち酔いそうで気持ち悪くなった。小さい頃は、高く高く漕げたのに。掛け算の九九も、夕方、公園のぶらんこを漕ぎながら覚えたのに。

 子どもはだだっぴろい運動場を横切り、急な斜面を、斜面の上のベンチまでひたすらにのぼって行く。あとをついていくのが息がきれる。
 空を、飛行機雲がよぎっていくなあ、と思ってみあげていたら、時間帯のせいなのか何なのか、西から東へ、東から西へ、次から次へと、飛行機雲はよぎるのだ。かれこれ10数機は飛んでいった。なんだかすごかった。

 帽子が目の前に落ちてくるのが、子どもは面白いらしく、わざと帽子で目隠しをしては、歩く。目隠し鬼さん、手のなるほうへ、と口ずさむと、耳にふいに、子どもの合唱の声がもどり、小学校のころ、週に1度、講堂に4年生以上の児童がみんな集まって歌う日があり、ある秋、「小さい秋」を歌ったのだと、いきなり思い出す。
 心をこめて歌うことを教師は言い、一生けんめいそうしたつもりだった。

 それにしても、心をこめて生きることは、思いのほかに難しいことだ。