数字!

 目を通す度に、間違いが見つかる。数字ひとつの間違いでも、その計算のすべてをやりなおさなければならず、それに関連するページすべてを書き換えなければならない。毎日毎日、資料をつくりなおしている感じだ。なんか泥沼。吐きそう。
 たとえば、建物の広さなど、自分がそこにいて感じている広さであるから、いちいち何平方メートルか、なんて聞いたこともない。でも書類には、そういうことがきちんとかかれなければならないわけだ。昨日、フィリピンから帰国した友人が寄ってくれて、調べてくれるように頼んでおいたことを教えてくれる。彼女がいなかったら、とても書けないところだった。さらに必要なこといくつかをお願いする。
 
 決算書は過去のことだから、英語のメモの読み間違いや、ペソと円の計算間違いがあっても、いつかは、終わりにたどりつく。だが、予算書とか見積もりのほうはやっかいで、先生たちの給料をあげるだけでなく、できればボーナスも出したい、という情報が入れば、それにしたがってすべてが書き直し。セメントの値段が見積もりのときより値上がりしていると聞かされても、こちらで見積もりしなおすわけにいかないこともあるが、備品をもうすこし、行事の費用ももうすこし、と、ほんとうはこれくらいほしいんだけど、と予算をつけていくと、またたくまに400万を超えて、450万になって、くらくらしてきた。校舎の増築という特別な事業費をのぞいても、給食は他の国のグループが面倒みてくれているから最初から考えていないが、学校を運営するのにどうしたって、年間280万~300万円くらいは必要なのだ。それだって10人ほどの先生と300人の子どもと何人もの奨学生の面倒をみることを考えたら、少なすぎるようなもんだが、実際は、それを150万円から200万円くらいの日本からの寄付と、こまごました寄付でやりくりしているのである。
 これは、たいへんなことではないだろうか。
 たとえば、他の先生たちの給料も安いが(最低賃金の3分の2以下)、一番安いのは校長のレティ先生で、決算書に、彼女の給料は入っていない。2つの学校を行き来するための交通費だけが記されていて、それは車を運転してくれる人に払うのである。つくづく苦しい台所事情だが、だからといって、レティ先生、やめる気はさらさらないのだ。
 そんなわけで、私たちもやめられない。
 
 だけどこんなに苦労して、人の手も煩わせて書類書いて、これで、助成金もらえなかったら、たまんないな。実際、もらえなかったら、増築工事どころか、ふつうの必要経費も足りないようだよ。物価は上がっているし、円のレートはよくないし。
 
 それでもどうでも、続けるものは続けるんだけど。夢のなかでも数字が動いているこの数日。