ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ
立原道造「わかれる昼に」
きれいな秋の一日だった。
『日本の詩歌』(中央公論社)全集がわが家にきたのは、小学校6年の終わり。東京だか大阪だかにいた年の離れた兄が、帰ってきて一緒に暮らすようになったときに、兄と一緒にやってきた。
第1巻の島崎藤村だけが、読み込まれてぼろぼろで(兄は藤村が好きだった)、あとはめくった形跡もないほどきれいだった。兄の本をときどき私はこっそりめくっていたが、あるとき兄は私の知らない間に、高校生の従姉に、全集のうちのかなりの冊数をあげてしまった。私がショックを受けているのをみて、兄は残っていた本を私にくれた。
23巻は中原中也、伊東静雄、八木重吉、24巻は丸山薫、田中冬二、立原道造、田中克己、蔵原伸二郎で、13歳頃の私はこの2冊がとりわけ好きだった。理由は単純で、中原中也、立原道造といった夭折した詩人の写真が、若くてきれいだったからである。立原道造が草に寝てこちらを見ている写真が好きだった。そうしてたちまちいくつかの詩をおぼえた。
その破片が、時折、記憶のなかからこぼれてくる。