塾通い


 東京にいる義弟一家は、今度6年生になる娘の塾が12月末日(!)まであるので、年末年始は帰省できない、らしい。たいへんだなあ。

 小学校の6年間、私も塾に通っていた。あまりに人見知りで引っ込み思案なので、これで小学校に通えるのだろうかと心配した母が、近所の知り合いの塾にあずけることにしたのだ。入学式の少し前に連れられていった。
 塾、といっても、ふつうの家で、先生は母と同じくらいの年輩のおばさんだった。最初の日、私はどうしても教室にあがれなくて、濡れ縁にノートをひろげて、言われるままに直線や波線をかいていたが、先生が家のなかにはいったすきに、逃げ出した。3度逃げ出して、3度とも見つかって連れ戻された。
 それでも何度か通ううちには畳の教室に入ることができるようになり、他の子どもたちと一緒に、長い机の前に座ることができるようになった。小学校にあがってからも、毎日、学校の帰りには塾に行った。
 途中、家の経済状態が厳しくなったときに1年ほど中断したけれど、その塾には結局、小学校を卒業するまで通った。
 でも塾で、何をしていたかというと、学校の宿題を片付けていただけなのだった。2年生になると、自分の宿題が終わったあとは、下の学年の子の勉強を見てやるように言われて、そうしていた。

 ところで、塾ではたくさん鳥を飼っていた。先生の夫が好きで、飼っていたのだ。メジロやジュウシマツやインコの鳥かごが、教室の隣の部屋の壁一面に並んでいた。いつからか、塾に来たら、まず最初に、鳥のすり餌をつくって、餌と水を鳥にやるのが、私の仕事のようになっていた。
 小学校を卒業する前、先生の夫から「いつも鳥の世話をありがとう」とハンカチを一枚もらった。

 2年生か3年生のとき、塾に痩せた白い子犬が迷い込んできた。先生に言われて、その子犬をちかくの空き地まで捨てに行った。ところが塾に戻ると、後ろについてきている。3度捨てに行った。3度目は後ろについてこなかった。
 そして家に戻ると、家の入り口にあの犬がいる。あんまり痩せてみすぼらしくてひもじそうなので、母が餌をやった。3日たっても犬は出入り口あたりをちょろちょろしている。「チョロ」と名付け、結局死ぬまで10年ほど飼った。

 途中で塾は新築の家になった。私たちの月謝は、家を建てるのに少しは貢献したろうか。
 思えばいんちきな塾だった。それでもよかったのだろう。のどかで、いいかげんな、塾通いの日々だった。

 中学生になったとき、もう塾には行きたくないと、親に言った。多くの子は中学に上がってから塾に通うのだと知ったのはずいぶんたってからだ。塾に行かない放課後を、図書館で本ばかり読んで過ごすことになった。