船乗りだった焼き芋屋


 今年はまだ聞いていないが、そろそろ焼き芋屋の声を聞く季節になった。ここに引っ越してきたとき、山の斜面の団地の急な坂の上なのに、こんな不便なところにまで焼き芋屋が来るのかと、驚いた。
 小さい頃は、よく焼き芋を買ってもらった。風呂屋に行った帰りに買ってもらったり、家の前を通ったときに、小銭をもらって買いに出たり。それがいつ頃からか、買ってもらえなくなった。子どものおやつに与えるには、高価なものになってしまったのだ。
 たぶん、高度経済成長の頃。菓子パンが1個25円だったのが、あっというまに50円になり、60円になり、80円になった。50円の板チョコが100円になって、100円もらってもパンとチョコレートの両方は買えなくなっていた。

 買わなくなっていた焼き芋だが、父の知り合いの焼き芋屋が来たときだけは、ときどき買った。本業は船乗りだったが、陸にあがったときは、冬なら焼き芋、夏にはトコロテンの行商をしていたのだ。 焼き芋はたまにしか買わなかったが、夏のトコロテンはよく買った。そのおじさんから買うトコロテンはおいしかった。鈴の音がすると、鍋をもって出て行き、家族の人数分のトコロテンを、するっと押し出してもらうのがうれしかった。

 だがある年から、焼き芋もトコロテンも買わなくなった。おじさんの乗った漁船が、瀬戸内海で転覆したのだ。行方不明者のなかにおじさんの名前があり、やがてそれは死者の名前にかわった。中学1年の秋か冬、まさか自分の知った人が、そんな不幸にまきこまれるはずはない、死ぬはずはない、と思いながらニュースを見ていた。
 不幸はどこか遠くにではなく、すぐ傍らにくることもあるのだ、とはじめて感じた事故だった。